不登校だった24歳が今、振り返って思うこと 不登校のきっかけから、現在まで
自分の人生を自分で決める、そのために、私は自分のやりたいことを探すことから始めました。当時、東日本大震災があって、私は社会問題とか自然環境のことを勉強したいと思っていたんです。そこで、大学見学へ行ってみました。いくつか見学していたなかで「ここなら通えそう」と思った女子大に入りました。その後、大学を卒業し、今にいたります。
――いちばんつらかったことは、どんなことでしたか?
忘れられない言葉があります。私が落ち込んでいるときに、親から「みんなつらいんだから」「つらいのはあなただけじゃないのよ」と言われたことです。
「ああ、親は私のつらさを認めてくれてないんだ」と感じて、すごく悲しかったんです。それ以後、自分でも「つらい」という気持ちを認められなくなってしまいました。「たしかに、もっとつらい思いをしている人もいるかもしれない。それなのに、この程度で泣いているのは、私が弱いからだ」と思ってしまったんです。
当時の私には自分の物差しがなかったから、他人の物差しで自分をはかることしかできませんでした。自分が「つらい」と思っても、他人にとってそれほどのつらさでなければ、他人の物差しを優先してしまうんです。だから、自分の本当の気持ちを閉ざしてしまっていました。
自分の気持ちをもっと言葉にできるようになりたい
――「つらい」とも言えないのはキツいですね。
そうですね。ただ、あるきっかけから、つらい気持ちを話せるようになりました。中学3年生のころ、布団から出ることもできないほどの状態になったときに、親が見かねて私をメンタルクリニックに連れて行ったんです。カウンセリングを受けたんですが、私は人前だと「ふつう」にふるまおうとしてしまうので、先生から「ぜんぜん平気ですよ」と言われてしまいました。でも本当は、先生の言葉に応答するだけで必死な状態だったんです。それをうまく伝えられなかったので、病院を出た瞬間に大泣きしてしまいました。
ただ先生には「これから生きていくうえで、人に伝えるということが大事になってくる。それができるようになるといいね」と言われたんです。そのときはパニックだったので頭に入ってこなかったんですが、しだいに「私は本当は認められたいし、つらい思いを伝えたい。だから自分の気持ちをもっと言葉にできるようになりたい」と思うようになりました。そこで、人に気持ちを伝える練習をしてみることにしたんです。