鶯谷、「ラブホテルの街」の知られざる素顔

実は徳川将軍家の菩提寺もある文化豊かな街

J‌R鶯谷駅には崖上側に出る南口と、崖下側に出る北口の2つの改札口がある。その北口改札から駅を出て路地の先の言問通りに出ると、数台の車が客待ちをしているのをよく見かける。ある時、これは吉原のソープランドのお客の送迎車なのだと知った。浅草の北にある吉原という土地は、J‌Rや地下鉄各駅からも離れているので、こんなサービスが定着しているらしい。

そんなラブホテル、ソープという駅前の風俗最前線地帯を乗り越えて言問通りの北側に達すると、ようやく昔ながらの“根岸の里”地域に達する。根岸には江戸時代、明治以降に文人たちが侘び住まいし、富裕な町人たちが別宅を構えた。

言問通りと交差する尾竹橋通りを歩いてゆくと、根岸小学校の向かいには江戸時代から続く豆腐料理の老舗「笹乃雪」の店がある。かなり昔に訪ねたことがあるが、コース仕立てで豆腐料理に次ぐ豆腐料理をいただいた記憶が。1人につき2皿出てくるあんかけ豆腐がこの店の名物。この「笹乃雪」の店は1922(大正11)年の区画整理のときに近くから移転。絹ごし豆腐というものの元祖で、そのなめらかな豆腐は、日暮里・芋坂下の羽二重団子とともに江戸の頃から風流人の好むものだったとか。

正岡子規の住んだ家・子規庵

「笹乃雪」のあたりから日暮里方向に路地を歩いていくと、正岡子規の住んだ家・子規庵がある。子規は1894(明治27)年、この地の旧加賀藩前田家下屋敷の侍長屋だった家に移り住み、8年半後、34歳で亡くなるまで暮した。現在の子規庵は戦災で焼けたものを門人たちが再建したもの。しかしこの子規庵に到達しようとすると、周辺は再びラブホテル街。言問通りを越えたこのあたりまでラブホ街が及んでいたとは。

この子規庵のはす向かいにあるのは書道家・中村不折の旧宅だった書道博物館。そしてそのさらに近くには昭和の爆笑王と言われた落語家・林家三平の記念館の「ねぎし三平堂」がある。私が子どもの頃、三平師匠は「どうもすいません」「身体だけは大事にしてください」といったギャグで大受けしていた。

落語家・林家三平の記念館「ねぎし三平堂」(写真:筆者撮影)

初代三平は、名人と言われた7代目林家正蔵の息子として根岸に生まれ育った。「ねぎし三平堂」にあった年表によると、“下町の学習院”根岸小学校の卒業生。

三平堂の展示はなかなか見ごたえがあり、大量の出演番組の台本、端正な文字で書かれたネタ帳など、爆笑王の意外な几帳面さを知る。

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