東京駅の「京葉線ホーム」があんなに遠いワケ 新幹線の夢の跡に生まれた地下ホーム

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そこで建設することになったのが新木場―東京間だ。同区間の建設は1983年に認可され、これによって新たな通勤路線としての京葉線が成立することとなった。

まず、1986年3月には西船橋―千葉港(現・千葉みなと)間が旅客線として開業。1988年12月には新木場―南船橋間と市川塩浜―西船橋間が開業するとともに千葉港―蘇我間の旅客営業が始まり、この時点で蘇我―新木場間の運転が始まった。新木場―東京間が開業したのは1990年3月10日。これで千葉の湾岸エリアと都心部が直通できるようになった。

遠く深いあの場所に決まった理由

では、京葉線東京駅の場所はどのようにして決められたのだろうか。

土木技術に関する専門誌『土木技術』の1987年3月号には、京葉線東京地下駅の設計にあたって

①鉄道事業に必要な空間を確保する
②周辺施設との連絡通路確保に対応できる構造にする
③道路敷を最大限に利用し、民地を極力少なくする
以上の諸条件を満たし、経済的・合理的な構造物とすることを基本とした。

とあり、駅空間の確保はもちろん、「道路敷の最大限の活用」が挙げられている。京葉線の東京駅は鍛冶橋通りの地下に位置する。

また、公益社団法人日本交通計画協会の広報誌「都市と交通」の18号(1989年11月)には、JR東日本建設工事部の担当者による「京葉線東京地下駅建設」という記事が掲載されており、この記事では京葉線東京駅の場所について、

東京駅周辺には東西線が縦断している永代通り、八重洲地下街がある八重洲通りがあり、これを避け、また既設東京駅との連絡を重視しつつ縦断占用されていない鍛冶橋通り(都庁第1庁舎前の都道406号線)の直下に地下駅として設けることとしました。

と説明している。

この「縦断占用されていない鍛冶橋通り直下」が、まさにかつて成田新幹線の東京駅を建設する予定地だったわけだ。

京葉線の東京駅入口(写真:Mochio / PIXTA)

京葉線東京駅は、最大幅員38.7m、深さ33.5m、延長526mという巨大なものである。もっと浅くはできなかったのだろうかと誰もが思うところだが、東京駅周辺の地下空間はすでに利用が進んでおり、地下の浅い位置はすでに首都高速4号線、地下鉄丸ノ内線・銀座線、都営浅草線、そして横須賀線が通っていた。

これらを避け、しかも場所は公道の下でなければならない。深さは、それまでにあったトンネルで最も深い位置を通る横須賀線の下を京葉線の線路階(地下4階)が通る位置として決められた。

工事の際には、首都高速4号線と営団(現・東京メトロ)丸ノ内線、横須賀線を「仮受け」という形で一時的に下から支えるような形での難工事が行われたという。

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