昔は構内に浴場も!「名古屋駅」大変貌の歴史 6階建てから高層ビルへ、リニアでまた変化

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3代目名古屋駅舎の時代には構内に銭湯もあった(筆者撮影)

3代目名古屋駅舎には食堂のほか銭湯、理髪店、洋服プレス屋までが入居しており、特にこの駅舎完成と同時に開業した「早川浴場」は、全国で唯一駅構内にある公衆浴場として親しまれた。現在の中央コンコースのJR東海ツアーズがある辺りに入り口があった。

蒸気機関車が活躍していた頃は煤(すす)で汚れた夜行列車の乗客たちでにぎわい、昭和30年代の全盛期には早朝5時から23時まで営業し、1日1000人以上の利用客がいたという。やがて東海道新幹線が開業して名古屋発着の夜行列車が減少すると経営が苦しくなり、1991年11月にはついに閉店となった。

ブルートレインが停車中の名古屋駅ホーム(筆者撮影)

夜行列車といえば、かつて東京と九州、山陰を結んでいた寝台特急(ブルートレイン)はだいたい20時から24時までの間に、名古屋駅に数十分停車して運転時間を調整していた。その頃の私の楽しみは、ブルートレインで名古屋に近づくと最後部の客車に移動して、プラットホームの東京寄り先端で営業していた「きしめん」を食べることだった。

食堂車でたっぷり食べた後ではあったが、ブルートレインを眺めつつ時間を気にしながらホームで食べるきしめんの味はまた格別のものがあった。

東海道新幹線の開業

車に囲まれて名古屋駅付近を走る市電(筆者撮影)

1964(昭和39)年10月1日には東海道新幹線が開業し、1番列車の超特急「ひかり1号」は東京―名古屋間を2時間29分、特急「こだま101号」は3時間15分で走破し、新幹線時代が到来した。当時、同区間の特急料金・運賃は2等車(現在の普通車)で1720円だった。筆者はこの頃ようやく35ミリライカ判カメラを入手して、名古屋の市電や名古屋市内の東京オリンピック関連行事、そして新幹線の試運転電車などをスナップしていた。

「夢の超特急」と呼ばれたこの当時から新幹線を記録し続けてきた中で、最も印象に残る出来事は1992(平成4)年、最高時速270kmでの営業運転を実現した300系「のぞみ」の登場だった。

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