幻の五輪競技「犬ぞりレース」を知ってますか 1932年「一度だけ」行われた競技の史実は?

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Q9. 犬ぞりレースは当時から人気だったのですか?

アメリカ、カナダでは、大きなレースも開催されるなど非常に人気で、レークプラシッドでも「犬ぞり」は冬の風物詩でした。

「公開競技」とはいえ、マッシャーと犬たちにとって、オリンピックは最高の晴れ舞台。選手の誰もが真剣でした。

特に今回のレースは、「伝説的ヒーロー」とその最大のライバルとの対決に、大きな注目が集まっていました。

「伝染病の町」を救った犬ぞりリレー

Q10. ヒーローとライバルというのは誰ですか?

地元アメリカから出場した「レオナルド・セパーラ選手」(1877〜1967)と、カナダの「エミール・ゴダード選手」(1905〜1948)です。

数々のレースで勝利を重ねてきた絶対的王者であるゴダード選手に対して、セパーラ選手もまた犬ぞりのエキスパートで、かつては英雄的行為で全米の人々から称えられたこともある、まさに「レジェンド」でした。

Q11. 「セパーラ選手」は、なぜ英雄と称えられたのですか?

彼の犬ぞりが「アラスカ辺境の町を窮地から救った」からです。

1925年1月、ベーリング海に面したアラスカ州西部の町ノームで、伝染病のジフテリアが突如発生します。この治療には血清が必要でしたが、町には必要なだけの血清がありませんでした。

加えて、折りからの大寒波の影響で、海路や空路はおろか、陸路も厚い雪に閉ざされてしまい、血清は1000km手前の町で足止めされたまま、ノームの住人約2000人は絶体絶命の危機を迎えていました。

この事態に、残された唯一の手段として「犬ぞりによるリレー輸送」が計画されました。ノームまでのルート上に点在する町の各区間を、犬ぞりで運ぶという前代未聞のプロジェクトです。

このプロジェクトが実行された結果、勇敢な20人のマッシャーと150頭の犬たちは、厳しい天候にも負けずに、1085kmの道のりを5日半かけて、それぞれが分担する区間を苦難の末に走破し、ノームの人々を「死の恐怖」から救いました。

セパーラ選手は、このときの輸送メンバーのひとりで、彼と彼の犬たちは、途中「マイナス30度超の暴風雪」に遭遇しながらも、20人の中で最も長く過酷な146kmの区間を、見事に走り切ったのでした。

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