次代の香港を担う「陳智思」という男は何者か

ASEAN華人関係の今後を占うキーマンに浮上

ビジネス面では、父親の陳有慶(ロビン・チャン)の後継者として家業の「亜洲金融集団」と「亜洲保険有限公司」で総裁を務めている。父親は全人代香港地区代表を第7期~10期(1988~2008年)まで務めていた。陳智思は父親と交代するかのように第11期(2008年)から全人代香港地区代表に選ばれており、今13期が連続3期目となる。全人代香港地区代表の世襲化とも言えそうだが、それほどまでに中央政府が陳一族を重視しているとも言えるだろう。

祖父の先行投資が築いた華人人脈

「チャーンワット・ソーポンパニット」というタイの名前をもっていることからも容易に類推できるように、彼はタイ最大の商業銀行である「バンコク銀行」を経営するソーポンパニット(陳)一族の一員でもある。

祖父である陳弼臣(チン・ソーポンパニット)が香港に現れたのは1950年代半ば。タイの政治文化を象徴するクーデターによって権力を掌握したサリット・タナラット政権の追及を逃れるための、政治亡命であった。だがひっそりと亡命生活を送っているわけがない。同郷の潮州系企業家が大きな影響力を持っていた当時の香港で、地縁ネットワークをテコに金融ビジネスの拠点作りに着手したのである。

シリントーン王女を中央に。向かって右が陳有漢。左から陳有慶と陳智思

1934年創業の「香港汕頭銀行」を手中に収めて「香港商業銀行」として改組する一方、バンコク銀行の海外拠点作りにも励んだ。

5年で亡命生活を切り上げてバンコクに戻るが、サリット独裁政権の後継であるタノム・キッティカチョーン=プラパート・チャルサティエン軍事独裁政権と手を組んで、バンコク銀行を当時の東南アジア最大の商業銀行に大変貌させたのである。マレーシアの郭鶴年(ロバート・クオック)、インドネシアの林紹良(スドノ・サリム)など、後に東南アジアを代表することになる少なからざる華人企業家の成長を支えたのは、陳弼臣からの融資だったと言われる。彼の先行投資が郭や林を育てたとも言えるわけだ。

1980年代後半以降、バンコク銀行は次男である陳有漢(チャトリ・ソーポンパニット)が、現在では陳智思と同じ、陳弼臣から数えて3代目の陳智深(チャトシリ・ソーポンパニット)が引き継いでいる。

北京政府との太いパイプ

陳弼臣がバンコクに戻った後の香港を任されたのが、長男の陳有慶である。彼は父親の影響力を十二分に活用し、日本の東海銀行などからの出資を得て亜洲金融集団を築きあげる一方、潮州系企業家ネットワークを基盤にして香港最有力企業家団体の1つである「香港中華總商会」を、会長として長年取り仕切った。

一般には物わかりのいいことから「好好先生(ホウホウ・シンサン)」とも呼ばれる陳有慶だが、ビジネス面では積極的にリスクを取ることでも知られる。1975年というから毛沢東の死の1年前で「四人組」(中国の文化大革命を主導した江青、張春橋、姚文元、王洪文)の絶頂期でもあった時、香港の中小銀行経営者を組織した「香港金融人士旅行団」を引き連れて、北京、上海、南京、無錫、蘇州などの視察に向かっている。

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