卒業後は、同じ系列の情報系の専門学校へ。在学中は、自分が作ったプログラムが雑誌に掲載されたり、IT系の国家資格に4つも合格したりするなどして、ついには首席で卒業という、充実した学生生活を送った。そして、専門学校に講師として教えにきていたIT企業の社長の会社に就職した。
「でも、この会社はブラックでした。パワハラがあるし労働時間も長く、残業代も出ませんでした。ほかの会社に出向していた時期もあったのですが、出向先の仕事が終わったら、自分の籍のある会社に戻ってきて、なぜかそこの仕事もしないといけませんでした」(宮長さん)
過酷な労働環境だったが…
こんなに過酷な労働環境だと、心を病んでしまわないか心配だが、宮長さんはこの会社が今の自分ができあがったきっかけになったと語る。この会社は、社員をセミナー業や新人研修、職業訓練校に情報系の講師として派遣することにも力を入れていた。そこで、宮長さんも講師として派遣されることになった。
「僕はASDの症状や吃音のため、しゃべりが早口だったり、コミュニケーションを取ることが苦手だったりします。でも、この会社で講師をすることで、人に教えるスキルが身に付いたし、何よりコミュニケーション能力は人並みになったと思っています。こんなに貴重な体験をさせてくれる会社はなかなかないので、3年間は必ず働こうと決めてやり遂げました」(宮長さん)
3年で会社を辞めて第2新卒で転職。現在もSEとして会社員をやりつつ、フリーランスでも仕事を請け負っている。プログラミングは宮長さんにとって天職なのであろう。そこで、ASDの特性を持つ人はSEに向いていると思うかを聞いてみると、次のような答えが返ってきた。
「厳密に言うと、ASDの人はSEよりもプログラマーのほうが向いていると思います。SEはプログラムだけでなく設計もするんです。でも、プログラマーはただプログラムのテストをするという単純作業です。だから、目の前に来たものをひたすらテストし続ける、テスターみたいな役割が向いているのではないでしょうか」(宮長さん)
宮長さんは適職を見つけてそれを全うできているようだが、ASDの症状の1つである「マルチタスクをこなせない」という点で困ることがあるという。たとえば、4つ仕事があってそれをすべてやろうとすると、そのうち1つでミスをしてしまう。
それを防ぐため、To Doリストに書き出して上から一つひとつ確認しながら集中して取り組んでいる。そうすると、早く正確にこなせるそうだ。また、人の名前を覚えるのが苦手で、以前勤めていた会社の同僚社員のフルネームを思い出せない。定期券も今年4回なくしたが、それは性格の問題なのかもしれないとも思っている。
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