それは“敗北”から始まった。MRJが三菱重工を変える

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「国とともに」と最後の“担保”

「今の利益率ではまだ低い。12年には(MRJの開発負担をこなし)過去最高の営業利益を目指したい」と大宮社長は言う。スピードとシェア、そしてモジュラー・デザイン。大宮社長の“革命”が三菱重工の収益性を押し上げれば、それがMRJの最大の推進エンジンとなる。

が、収益力以外にも、MRJを支える“担保”がないわけではない。「国とともにある」三菱重工の存在感である。今も昔も、三菱重工は防衛省の契約額ランキングのトップ企業だ。日の丸ロケットH2Aでは生産の取りまとめから打ち上げまで一貫して責任を持つ「プライム会社」であり、高速炉増殖炉の開発の「中核会社」にも選定されている。米国が音頭を取るGNEP(使用済み核燃料再処理のための国際原子力エネルギー・パートーナーシップ)にも、日本を代表する形で招聘された。

昨年のパリ・エアショーでは日本の駐仏大使館がMRJのためにレセプションを催した。一企業の一商品に、そこまで国が肩入れするのは前代未聞。「国とともに」の三菱重工だから、の支援だろう。

そして、最後の担保--。大宮社長を選んだ佃会長はこう言った。「航空機事業は新参者。これから数年、屋台骨を揺るがすような重要なステップになる。事業性の見極め、決断が大事。新社長なら、長い経験を生かし、的確に判断してもらえる」。

大宮社長は冷熱事業本部時代、ルームエアコンの量販店販売の撤退、パッケージエアコンの全面海外生産移管を決断した。「(撤退も生産移管も)簡単な決断ではない。事業のクライテリアに照らし、やるべきことは厳然とやらねば。思い入れと事業は違うからね。日本経営の特性は長期的視点だけれど、企業を預かっている。9・11のような事態が起こったら、どうするか。やめる決心ができない、ということではない」(大宮社長)。MRJ発進の“最後の担保”は、大宮社長その人である。


(週刊東洋経済編集部)

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