彼らはなぜタイに「墜ちた」と揶揄されるのか バンコクコールセンターで働く日本人の実態

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言葉の面について言うならば、タイは英語の通用度は高くないものの、レストランに行けばメニューには写真が掲載され、英語版のメニューが置いてある店も少なくない。だからタイ語に堪能でなくても、日常生活に困ることはほとんどない。何よりタイ人は親日的だ。

つまり、日本人にとってこの国は居心地が好いのである。コールセンターで働く日本人の多くはすでに観光でタイを訪れた経験があり、その居心地の好さを肌で感じている一方、日本で非正規労働者として働いても今や月収20万円を超えることは難しい。最低賃金の低い地方都市であれば月収15万円に満たないのが現実だ。また、2011年に公表された国立社会保障・人口問題研究所の分析によると、日本で働く単身女性の3人に1人が年収114万円(平均月収9.5万円)に満たない「貧困」であることがわかった。

女子大生が風俗に手を染めざるを得ない衝撃的な現実が報道されるこのご時世である。仮に、日本で非正規労働者として困窮生活が続くとすれば、バンコクのコールセンターで働いたほうが経済的にも精神的にも満たされる可能性が高いとも言える。

実際、彼らと接していても特別な悲愴感を感じるどころか、むしろ、日々の業務や残業、接待に追われる駐在員より、自由で気ままな海外生活を送っているようにすら見えるのである。

後々の昇進に響く

私が取材した駐在員はこんな事情を説明してくれた。

「友達との飲み会が入っても、会社の飲み会が入ったら嫌でも優先しないといけません。その点、現地採用で、5年、10年先の会社の地位を考えなくていいとしたら、上司から誘われても個人的な理由で簡単に断れるのかなと。われわれはそんなことをしていたら、後々の昇進に響くことになると思います。

たとえば僕は自分が音痴だとわかっているのでカラオケは嫌いなんです。でも歌わないといけない。パワハラと同じで、カラオケのハラスメントがある。嫌でも行かざるをえない。行って、『僕歌いません』と言うと、『こいつ何だよ!ノリ悪いな』と思われるから空元気で無理して歌います。でも本音は歌えと言われない限りできるだけ歌いたくないですね」

日本の本社から派遣されている以上、任期終了後に帰任した後のことまで考えて行動しなければならない。飲み会や接待も重要な仕事の1つなのだ。駐在という立場、日本企業という看板ゆえの世間体もある。しかも海外の在留邦人社会は狭く、日本料理店が集中している地域も限られているとなれば、なおさら日本人の視線が気になる。故に煩わしいことが多い。

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「こんな話があります。お客さんの奥さんのお姉さんが観光で来ていた時のことです。たまたま奥さんの体調が悪かったため、お客さんは奥さんのお姉さんだけを連れてマッサージ店を訪れました。ところが、それを誰かに見られたのか、ママ友つながりで奥さんに連絡が入り、『あなたの旦那さん、知らない女性と歩いていますよ』と告げ口されたんです」

こうなるとほとんど村社会である。日本の地方都市で地元の住民たちが見知らぬ人を興味本位で見るような感覚なのではないか。

駐在員が自分の希望した赴任地に派遣される確率は低い。アジアでもかなりの僻地に派遣されたある駐在員はその時の厳しい住環境についてこう感想を漏らした。

「そこは高層の建物はありませんでした。私は中心部から少し離れた郊外にある唯一の高層の建物に住んでいたのですが、コンドミニアムと言えるような代物ではなく、ゴキブリは出るわ、ネズミも出るわ。最初は驚きましたよ。日本料理店も一軒しかなかったです」

こういった話を聞くといくら待遇に格差があるとはいえ、現地採用者がうらやましがるような生活を必ずしも彼らがしているわけではない、と思わされるのである。

水谷 竹秀 ノンフィクションライター

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みずたに たけひで / Takehide Mizutani

1975年三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者、カメラマンを経てフリーに。現在フィリピンを拠点に活動し、月刊誌や週刊誌などに寄稿。2011年『日本を捨てた男たち フィリピンに生きる「困窮法人」』(集英社)で第9回開高健ノンフィクション賞を受賞。他の著書に『脱出老人 フィリピン移住に最後の人生を賭ける日本人たち』(小学館)など。

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