50歳独立研究者「副業から始まった」稼ぎ方 不確かながらも心安らぐ環境に身を置いた

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小松さんが生まれたのは1967年1月の札幌市。電力会社で働く父と専業主婦の母のもと、3人兄弟の長兄として育った。家庭や親戚には研究畑に携わる人はおらず、アカデミックな情報に触れる場も特にない。あったのは、近所の山地にある原生林とそこに生息している生き物たちだった。

小松さんの地元周辺の航空写真(出典:国土地理院ウェブサイト)

「実家は札幌市の中でも最初に開拓された山鼻という地区で、石狩川の支流が削った扇状地に建っていました。扇状地は平地のすぐ側に山がある独特の地形になるので、子どもの足でも15分くらいで毎日行けたんですよ」

物心ついた頃から興味の対象は生き物だった。近所の山地から昆虫や小動物を捕まえてきては、飼育できる環境づくりに腐心する。家にある図鑑を開いても生物の名前がわからないこともしばしば。それでも生息環境などから餌や巣などを試行錯誤して構築するのが楽しかった。標本を作ったりもしたが、動き、反応し、成長する姿(生態)のほうが興味深く感じた。父は昆虫や小動物を好むタイプではなかったため、文句を言われないように、父が自宅でたどる動線上にはケージを置かないといった知恵も絞るようになっていく。

自分流でひたすら生き物に親しむ少年を小学校の同級生が一目置くのは当然の成り行きだった。しかし、それはほぼ虫取りのときだけ。運動は苦手で、勉強の成績も中の中。クラスで目立つ要素はほとんど持ち合わせていなかった。

自分なりに調べて理解していくプロセスが面白かった

「小学校の頃は理科も含めて勉強に興味がありませんでした。当時の教科は考えさせるというより暗記させるものという感じでしたから。自分が生き物に興味を持ったのも、なんだかよくわからないものがいるぞと。それを自分なりに調べて理解していくプロセスが面白かったんですよ。最初に答えを教えられて、覚えるだけというのはどうもやる気が起きませんでした」

その意識が変わったのは中学で科学部に入ってからだ。物理学や化学に熱中する先輩には親が学者の人もいて、たまに来る高校生のOBは好きな研究に打ち込めるという大学の面白さを教えてくれた。自分がこれまで1人で勝手に楽しんでいたことは、どうやらアカデミックな世界とつながっているらしい。交流を通じて自分の関心事を客観視できるようになり、進むべき道も少しずつ見えるようになっていった。

自分は生き物を研究して生きていこう。そのためには大学に行く必要があり、大学に行くには高校を出ないといけない。ならば学校の勉強も必要だ。

目標が定まったあとは持ち前の分析力と解決力を注ぎ込むのみ。中学入学時は平均以下だった成績は期末テストのたびに右肩上がりし、3年生の後半には学年でトップ10に入るほどになっていた。

高校に入った後も成績は上々。受験する大学は生態や進化の研究に熱心なところを深く検討したうえで、最終的に地元の北海道大学を選んだ。その分野で全国トップクラスにあったうえ、当時は入学後に獣医の道も選べる仕組みになっていたことが魅力だった。1985年4月、ストレートで入学する。学部1~2年の教養の成績を経て、農学部農業生物学科に進学。獣医学部進学も可能な成績だったが、研究者になる意思を固めた。

あこがれのキャンパスライフは、かつて聞いた「好きな研究に自由に打ち込める」というほど甘いものではなかったものの、おおむね有意義だった。学部を卒業したあとは迷わず大学院の修士課程へ。主な対象は昆虫と植物で、アワフキムシ類(セミに近縁な昆虫の1グループ)の分類を出発として研究に勤しんだ。

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