渋谷の「駅と街」は40年でこれだけ変わった 昔は駅前に魚屋やレトロなアパートもあった
映画からの古い渋谷の話題といえば、山手線をまたいでビルの屋上を結んだゴンドラが登場する作品がある。
1952(昭和27)年の『東京のえくぼ』は戦後の東京を生き生きと描いた作品だが、その一場面で主人公の上原謙(加山雄三の父)と丹阿弥谷津子が渋谷のデパートの屋上遊技場でデートして、ゴンドラに乗り込むシーンがある。「ひばり号」と名付けられたこのゴンドラは1951(昭和26)年8月に開通し、7階建ての東横デパートの屋上と、山手線を挟んで4階建ての玉電ビル(現在の東急百貨店東横店西館)の屋上とを結んでいた。
オレンジ色のゴンドラは、山手線を眼下に眺めての空中散歩とあって、たちまち子どもや買い物客たちの話題になった。しかし、翌年百貨店が増築工事を始めたために「ひばり号」はわずか1年余で姿を消してしまった。当時の記録は少なく、渋谷の住民でさえも記憶はおぼろげになっている。
地下鉄の上の舞台「電車停めて!」
「渋谷」という土地の由来には諸説あるが、なかでも興味深いのは「昔から、ジュクジュクした湿地の渋い谷だった」という説だ。筆者はかつて、当時の国鉄東京西鉄道管理局から渋谷駅の鉄道百年記念誌を編集するにあたって写真撮影の依頼を受けたが、取材をしているうちに、明治時代には南口の国道246号ガード付近に水車があり、渋谷の各地から流れる豊富な湧き水が集まる場所だったということを聞いた。今も豪雨のときなど、ガード下が時々冠水するのはその名残だろうか。
そんな谷底の渋谷駅に地下鉄銀座線が乗り入れたのは1938(昭和13)年のこと。地下鉄は表参道から青山トンネルを抜け、地上に現れると一気に高架橋で渋谷駅に至る形となり、駅は東横百貨店(現・東急百貨店東横店)の3階に設けられた。百貨店を通過すると地上に広大な車庫があり、ここは今もビルの中に入ったものの機能している。
かつて百貨店の9階にはいわゆる「デパ食」の「東急お好み食堂」があり、その階上には東横劇場があった。
この劇場には私もよく舞台写真の撮影に行ったが、これはそのときモギリのお姉さんに聞いた話。劇団文学座の公演で、杉村春子が舞台で熱演中のときのこと、床下から何やらゴトゴトという音が響いて聞こえる。すると突然芝居が止まり、杉村春子の絶叫「誰かあの電車停めてチョーダイ!!」……。地下鉄の通過音の響きがこの劇場の床にまで達し、耐えきれなくてキレたのだった。ちなみに演目は杉村春子十八番の『欲望という名の電車』だったという。
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