小学校の頃から、おそらく勉強に対して何かを言ってきた可能性あり、すると「言われる→言われたからやる」という構造ができ上がります。ところが、子どもが精神的に成長し、中学生ぐらいになると、「言われる→反発」に変わるのです。しかも親が勉強に関して、もともとネガティブ感情を持っていたりすると、ますますうまくいかなくなるのですね。
子どもの反発という反応を受けて、親はショックを受けることがよくあります。自分のやり方がまずいのではないかと感じることもなしに。しかし、小宮山さんは、客観的にご自身の対応について自覚されていますね。それにもかかわらず、また同じことをやってしまうのですね。要するに子どもへの対応方法が固定化され、習慣化されてしまっているために、その習慣から抜けることができなくなってしまっているのです。
それともう1つ重要なことがあります。それは次のことです。
「親は教師ではないし、家は学校ではない」
そんなことわかっている、と思われるでしょう。しかし、実際やっていることは、教師のような、学校のような対応であったりするのです。子どもにとって家は、憩いの場であり、親は親であり、教師ではないのですね。
「つい言いすぎてしまう」のは…
「最近ではけんかが増え、うまくコミュニケーションが取れていない気がします。私も言いすぎてしまうので……」
とコミュニケーションについて触れられています。コミュニケーションはあったほうが当然いいのですが、その内容自体が重要となります。楽しい会話であれば問題ないですが、どうも小宮山さんの場合はそうではないようです。
この小宮山さんのメッセージには実は重大なことが書かれているのがおわかりでしょうか。それは「私もつい言いすぎてしまう」というフレーズです。この部分が意味することは、「親の精神年齢と子どもの精神年齢が同じか、親のほうが低い」ということなのです。
「そんなことはない!」と思われるかもしれませんが、これまで3500人以上の親子と対面する中で、「親よりも子どものほうが、精神年齢が高い」というケースがいくつもありました。この事実を知ったときは驚愕しました。
しかも、これはレアケースではなく、意外と多いことがわかったのです。もちろんこれは、精神年齢テストをやったわけではなく、単なる私の実感なのですが、明らかに子どもは親を超えているという場合が少なからずあったのです。
親は、子どもより長く生きていますし、経験量も子どもの比ではありません。しかし精神年齢というものは、このような尺度とは関係なく、いわゆる“大人の対応”という鷹揚さという尺度のことです。つまり、落ち着いていて、冷静に相手の気持ちを理解できるという尺度です。
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