ミサイル発射の北朝鮮に圧力だけではダメだ 時間をかけて交渉、環境づくりに努めるべき
北朝鮮の核開発の歴史に相応して、これまで国際社会は圧力を強めてきた。米国や日本、韓国は、全面制裁を狙っているが、国際連合による対北朝鮮制裁はまだ選択的な制裁にとどまっている。中国とロシアが全面的な制裁を受け入れていないためだ。米国はいまや米国全土が直接的な脅威にさらされている立場。国連でも全面制裁を決議できるよう、中国とロシアにさらなる圧力を加えている。
そんな国際社会の圧力に北朝鮮が持ちこたえられるのか。それを判断するには、北朝鮮の経済状況を見る必要がある。1990年代に社会主義圏諸国の崩壊と相次いだ自然災害で、北朝鮮経済は事実上瓦解した。北朝鮮はこの時期(1994~1997年)を「苦難の行軍」時期と自称する。
中央集中から地方分散型の経済へ
当時の北朝鮮経済は、中央に集中させる計画経済システムだった。北朝鮮全域で生産された物資を、中央に集中させた後、地方に分散させる構造だ。しかし、突然の自然災害によって、東部地域(江原道、咸鏡道)と西部地域(平安道、黄海道)を結ぶ連結網が大きく毀損した。食糧自給がなされていなかった東部地域は孤立した。一方、工業製品を東部地域に依存していた西部地域は、工業製品不足に苦しめられた。このような状況が3年以上続き、平壌の経済状況に多大な悪影響を与えたのである。
ところが、1998年になって北朝鮮は突然、「強盛大国」論を主張し始めた。東部と西部を結ぶ連結網が3年ぶりに復旧できたためだ。時を同じくして、韓国や米国、日本は、北朝鮮に対する支援を開始。そんな支援を、北朝鮮は単純に無償支援だと受け入れたのではなく、支援を利用して内部システムの整備を始めた。農地整理事業と物流網の整備、鉱山の生産活動の正常化、道路・通信網の再整備などを絶えず推進していった。
ただ、日米韓の支援があったとはいえ、財源が絶対的に不足していたため、時間が長くかかり、目に見えるほどの復旧作業を行えなかった。10年余りという、長い時間をかけて進められた復旧作業の過程において、北朝鮮住民は自ら市場化を進めることになった。ここでいう市場化とは、中央集中式の計画経済システムから、地方分権的な市場経済システムへと転換したことを意味する。
もちろん、北朝鮮当局はこのような市場化を最大限抑制しようとしたが、事実上、黙認することで一貫していた。金正恩政権が始まってからは、北朝鮮住民によって形成された、地方分権型市場システムが全面的に受け入れた。中央で管理する経済特区とは別途に、地方政府が活用できる二十数カ所の経済開発区を指定したのもこのためだ。労働者や各機関のインセンティブを刺激する、圃田担当制(農業)と社会主義企業責任管理制を導入し、市場を事実上許容する措置さえとった。
他方でこの時期には、日米韓の北朝鮮支援は中断され、北朝鮮は中国に対する依存度を高めた。
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