悪さ重ねた少年が40代で達した質実な稼ぎ方

カンボジアで起業、コアな電子書籍をつくる

東京・新大久保にあるイスラム横町であいさつを交わした黒沢さんは、異国の雰囲気をいっさいまとっていなかった。見た目は50歳近い実年齢よりは10歳近く若く見える。物腰は柔らかく、昔ヤンチャしていた人特有の雰囲気もない。落ち着いた口調で、時に笑いながら半生を振り返ってくれた。

クーロン黒沢さん

黒沢さんが生まれたのは1971年の東京。父親はおらず、物心ついた頃から生活のためにとにかく年中働く母親の姿を見て育った。

「ネグレクトというわけではないですけど、私が小学校サボっても通学していないことにも気づかないような感じでしたね。寂しさよりも、もう本当に生活が厳しくて。本当にひどいときには、なけなしのおカネを握ってパチンコに行って『このおカネすったら一緒に死のう』みたいなところまでいきましたから(笑)」

時間潰しには困らなかったものの…

昼間からゲームセンターに入り浸る毎日。おカネはなくても、当時はやっていたライターの着火装置を使った違法な手段でゲームがプレーできたので時間潰しには困らなかった。しかし、次第に家で思う存分ゲームができたらいいなと思うようになる。ファミリーコンピュータもない時代だったからほとんど夢物語だとわかってもいた。

それが現実の欲望に変わったのは、小5の終わりにマンガ『こんにちはマイコン』(作・すがやみつる)と出合ってからだ。マイコンの存在を知り、がぜん心に火がついた。小遣いを必死にため込み、母親からもかなり無理して半額ほど援助してもらい、小6に上がった頃、ついにNECの「パピコン PC-6001」を手に入れることに成功。記憶からディテールは抜け落ちているが、6万9800円で買ったことは鮮明に覚えているという。

ところが、ソフトを購入しなければ何もできないということに後から気づいた。1万円近くするソフトは全財産をつぎ込んだ少年の財布にはあまりに高嶺の花で、1年間は何もできずに過ごすことになる。

この状況を一変させたのが、池袋で偶然見つけた違法コピーソフトの店だ。中学生になってもほとんど通学しない毎日を送る黒沢少年はすぐにその店の常連となり、いつしか店を任される側に回っていた。

「あの頃はパソコンにソフトを入れられる喜びが半端じゃなくて、それまでの遅れを取り戻すかのように必死でコピーしていました。もうゲームをプレーするよりコピーすること、いや、悪いことをするのが楽しいという部分が強かったかもしれません」

しかし、終わりは突然訪れる。中学2年の頃、小腸と大腸に原因不明の潰瘍ができて倒れ、長い入院生活を余儀なくされた。7カ月の入院の後、3カ月の入院。その間に店は潰れて跡形もなく消えていた。

1993年の台北。ゲーム屋さんはスーパーファミコン全盛期(写真:クーロン黒沢)
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