「フォーミュラE」にドイツ勢が参戦したワケ モントリオールを取材してわかったこと

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肝心のレースの話をしよう。

ミシュラン・マンも登場(筆者撮影)

モントリオールは7月29日、30日の連続で第11戦と最終第12戦が開かれた。第10戦を終了した時点ではドライバーズポイントでルノー・e.ダムスのブエミが首位、これをABT・シェフラー・アウディ・スポーツのルーカス・ディ・グラッシが追う展開だった。

前シーズン、チャンピオンで「このまま逃げ切りか」と思われていたブエミが、テスト走行でクラッシュ。ペナルティを食らって決勝は12番手からのスタートになった。

ポールポジションからスタートしたディ・グラッシは順調に重ね、そのままゴール。ブエミは猛追したが4位に終わり、6ポイントの僅差でディ・グラッシが首位に立った。フォーミュラEは優勝が25ポイント、2位は18ポイントなので、最終戦で勝ったほうがチャンピオンになる。

自動車産業の未来を暗示する結末?

その夜、衝撃的なニュースが流れる。クラッシュ後、突貫作業で修理したブエミの車が重量不足だったことが判明し、失格となったのだ。ポイント差は18点に開いた。ブエミが最終戦で優勝してもディ・グラッシが6位以内に入ればディ・グラッシがチャンピオンだ。

最終戦で優勝争いを演じたインドのマヒンドラ(筆者撮影)

30日の最終戦。ポールポジションを獲得したのはマヒンドラ(インド)のフェリックス・ローゼンクヴィスト。2番手にはテチーター(中国)のジャン=エリック・ベルニュがつけた。

最終戦を引っ張ったマヒンドラのフェリックス・ローゼンクヴィスト(筆者撮影)

ディ・グラッシは6番手からのスタート、逆転に向け力が入ったブエミは11番手からの苦しいスタートになった。ブエミは11位のままで終わり、手堅く7位でフィニッシュしたディ・グラッシが年間チャンピオンに輝いた。

35周目にチェッカーフラッグを受けたのはベルジーヌ、これにローゼンクヴィストが続き、中国、インドのチームが1位、2位を占めた。自動車産業の未来を暗示する結末といえる。

ここに自動車王国、日本の自動車メーカーがいないのは寂しい。日本開催のフォーミュラEで日本チームのシャンパンファイトを見てみたい。そう思うのは私だけだろうか。

大西 康之 ジャーナリスト

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おおにし やすゆき / Yasuyuki Onishi

1965年生まれ。愛知県出身。1988年早稲田大学法学部卒業、日本経済新聞社入社。欧州総局(ロンドン)、日本経済新聞編集委員、日経ビジネス編集委員などを経て2016年4月に独立。著書に『稲盛和夫 最後の闘い JAL再生にかけた経営者人生』『ファースト・ペンギン 楽天・三木谷浩史の挑戦』(以上、日本経済新聞出版)、『三洋電機 井植敏の告白』『会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから』(以上、日経BP)、『ロケット・ササキ ジョブズが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(新潮社)、『起業の天才! 江副浩正 8兆円企業リクルートをつくった男』などがある。

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