いま聞かないと「戦争体験者」がいなくなる 「母は必死に座布団で焼夷弾の火を消した」

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私にとって戦争は空襲と艦載機の機銃と焼夷弾、火の海の中を逃げたことだが、戦場体験者にとっては、ある人は飢餓地獄が戦争の記憶であり、ある人は果てしない彷徨(ほうこう)が戦争の記憶であり、またある人は収容所生活が戦争の記憶であった。広島の被爆者にとって戦争とは原爆であろう。長崎の被爆者にとってもそうだと思う。沖縄戦を体験した人々にとっては、沖縄戦こそが戦争だ。

戦争体験者は、その体験によって戦争のとらえ方もわずかずつ違う。私はこの本で、それぞれにわずかずつ異なる戦争の画像を重ね合わせ、戦争の真実の姿に近づこうと思っていた。しかし取材を始めて、改めて痛感したのは、いまや先の大戦で戦場に立った人々の数が本当に少なくなってしまったことだ。

原爆を使った罪、原爆を使わせた罪

故田中角栄元首相は「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」と若い議員によく言っていたという。

われわれはいま貴重な戦争の語り部を失いつつある。体験の裏付けのない戦争論も非戦論もどこか弱く、空々しい。だが、それでもわれわれは追体験によって真実を推し量るという行為まであきらめてはいけない。

私は広島平和資料館を初めて訪れたときの衝撃を忘れない。広島の原爆ドーム、長崎の浦上天主堂を直接目にしたときの印象も強い。広島平和資料館や長崎原爆資料館の展示物を見て、あの原爆による大惨劇を知れば、誰も戦争をしようなどとは思わないはずだ。

日本人はもとより、世界中の、国を率いる立場にある人々は必ず広島と長崎を訪れるべきである。なぜなら、そこには原爆を使った罪と原爆を使わせた罪、双方の政治家の罪を見て取ることができるからだ。

原爆を使ったのはアメリカであり、当時の大統領ハリー・トルーマンである。アメリカは依然として公式には原爆を使った罪を認めていない。だが、原爆を使うことの罪は、資料館の展示物が雄弁に語ってくれている。

では原爆を使わせた罪とは何か。すでに敗戦が明らかとなり、このまま戦争を継続すれば明らかに犠牲者が増えるとわかっていながら、終戦に踏み切らなかった当時の日本の指導的立場の者たちの不作為の罪である。

広島・長崎に原爆が投下された前年、1944年のマリアナ沖海戦で日本軍は壊滅的な損害を受けた。戦死者3500人、海軍は空母3隻と艦載機のほぼすべてを失った。この段階で太平洋の制海権、制空権は米軍のものとなったのである。マリアナ沖海戦と前後して、米軍はサイパン島、グアム島、テニアン島とマリアナ諸島を落とす。

この3島が陥落したことによって、米軍の爆撃機は日本本土往復が可能になった。テニアン島は原爆を積んだB29が、広島に向かって飛び立った島である。

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