もう1日、忘れられない日といえば、競馬場で馬券発売を再開した2011年6月25日。午後3時過ぎの3場(3つの競馬場)のメインレースだけの発売だったが、午前9時の開門を前に約120人が列をつくった。競馬場が笑顔であふれた。
ファンは馬券発売を待っていた。その皆さんから「よかったね」「待ってたよ」と声を掛けられた。競馬記者として顔を知られているとはいえ、本来そのような立場ではない筆者にである。ファン同士が久しぶりに再会し、震災以来に見る顔であれば、互いに無事を喜び合う様子をあちこちで見掛けた。
福島競馬の復活を支えた地元ファンの熱気
午後3時過ぎから馬場内投票所は熱気であふれた。レースを待つワクワクした気持ちで笑顔が絶えなかった。何とも言いがたい、心地よい連帯感の中で、多くの人が競馬をみんなで楽しむ一時を心待ちにしていたことを実感した。熱いものが込み上げた。まだまだ厳しい状況の中で娯楽の、競馬の力をあらためて感じた。
震災発生から福島競馬再開まで、筆者は大勢の方のお世話になった。当時の土川健之JRA理事長は、震災からわずか2カ月後にインタビューに応じてくれて、福島競馬復活を約束していただいた。実家が被災した南相馬市出身の木幡初広騎手とは長い取材を通して心を通い合わせることができた。今年になって長男・初也騎手、次男・巧也騎手、三男・育也騎手と史上初の親子4人現役騎手として活躍し、4月の中山競馬では親子4人同一レース騎乗の快挙も達成した。
武豊騎手も日本騎手クラブ会長の立場で単独インタビューに応じ、メッセージを寄せてくれて、復活した春競馬に参戦してくれた。何より、やはり福島のファンは日本一熱かったことを実感できた。悪いことばかりではなかった、と今だから言える。競馬再開の拍手が響いたあの第1レース。木幡初広騎手が騎乗したドリーミングラヴの「がんばれ馬券(応援馬券・1頭の単勝式・複勝式の馬券を、セットで同額購入できる)」がある。実は2着に入って複勝は的中していた。その馬券は払い戻すことなく今も筆者の手元にある。
福島市の人口は約28万人。近隣からの来場者もあるとはいえ福島競馬場の入場者は7月2日のラジオNIKKEI賞当日が1万8825人、7月9日の七夕賞当日が1万6896人を記録した。7月9日には東洋経済オンラインの「競馬好きエコノミストの市場深読み劇場」連載でおなじみの筆者である吉崎達彦さん、ぐっちーさんが福島競馬場に遠路はるばる訪れてくれた。観光面での貢献も大きいが、この来場者数は地元の競馬熱あってこそ。都市規模を考えればいかに福島には熱心な競馬ファンが多いか、それがわかる数字だろう。
現在でも震災による津波の被災者、原発事故で避難を余儀なくされている人たちは多く、真の復興は道半ばである。それでも、これだけの地元の人たちが競馬を愛し、競馬場に詰め掛けている。これからも福島競馬は競馬を愛する人たちに変わらずに支えられていくだろう。もちろん筆者もその中の1人である。
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