展望席の伝統「ロマンスカー」はこう進化した 歴代の名車、思い出の車両はどれ?
車体間に台車を配した連接構造のこの電車は、国鉄東海道本線上での試運転時に、当時の狭軌鉄道における世界最高速度である時速145キロメートルを樹立した。
SE車によって新宿―小田原間は64分まで短縮され、そのユニークなデザインとともに観光客の人気を博し、箱根観光の定番列車へと成長した。後継車が登場したのちも、SE車は8両から5両に編成を短縮して国鉄御殿場線直通の「あさぎり」号などに軽快なフットワークで幅広く運用され、1992(平成4)年まで活躍を続けた。鉄道の歴史に残る名車中の名車だといえよう。
パノラマカーとロマンスカー
1960年代、箱根への行楽客は増える一方で、小田急はSE車に次ぐ新しい特急電車を投入した。東京オリンピックの前年、1963(昭和38)年に誕生した3100形は運転席を2階とし、前面展望室を設けたユニークなスタイルが特徴で「New Super Express」略して「NSE」と呼ばれた。
運転席を2階にした前面展望室付きのスタイルは、1961(昭和36)年に登場した名鉄7000系パノラマカーとほぼ同じデザインである。
パノラマカーは当時の名鉄社長が渡欧のとき当時のイタリアの代表的列車「セッテベロ」を見て気に入り、わが社にも……と参考にしたなどと伝わっているが、この説には賛否両論ある。筆者はかつて国鉄の副技師長、星晃さんとヨーロッパ鉄道の旅をしたとき、星さんから「セッテベロのデザインは名鉄パノラマカーや(国鉄の)『こだま』のボンネット形特急にも大いに参考になり、影響を与えている」と聞いている。
筆者もセッテベロに乗って展望を体験したが、ロマンスカーやパノラマカーの名誉のために申し上げれば展望客室は格段にロマンスカーやパノラマカーのほうが優れている。基本的なことは参考にして、あとは日本の技術力によってより居住性の良い車両をつくりあげたのが日本の展望電車であろう。
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