スタートアップに踏み切るきっかけとなった”ある一言”
仲:3年間の海外周遊を経て、どうやってWHILLが生まれたんですか?
杉江:2009年に創業メンバーの榊原と内藤が途上国向けに車いすを作りたいと言ったんですよ。回転成形という技術を使って椅子のフォームを作って、それに捨ててある自転車のホイールはめたら安く車いすができるとかいって。そこで、僕が当時、ラオスにいたんで、お前ちょっと調査してこいって言われまして。
でも調べていけばいくほど、ビジネスとして成り立たせるのはそうとう難しいということがわかりました。で、一度東京に戻ったときに、先進国にいるんだから先進国用のもの作ったらいいんじゃない?と言ったんです。
そこで、ユーザーに会いに行ってみようって神奈川県総合リハビリテーションセンターに行きました。そこで出会った車いすユーザーの一言「100m先のコンビニに行くのもあきらめる」って聞いたのがきっかけで、話が始まったんです。その話しから2つの問題を見つけました。ひとつは、車イスがかっこ悪くて出たくないという問題、もうひとつは機能性。坂や、段差があると動きにくいという問題。「じゃあ、かっこよくて機能性の高い車イスを作ろう」って、最初は軽いノリで始めたんです。当時、僕以外は、皆会社に勤めていて、土日に作っていました。10カ月くらいで最初のプロトを作り上げて、それで東京モーターショーに出してみたら、そこで大きな反響があって、会社組織にしようという話になりました。
仲:なるほど。ついにメンバーたちも会社を辞めて。いい会社に勤めていたのに辞めるなんて、周りはびっくりしたんじゃないですか?
杉江:そうかもしれないですね。僕はとっくに日産を辞めていたので、久しぶりの定職でしたけど(笑)。ただ、東京モーターショーで「WHILL」を発表した後に、皆がスピンアウトした理由が2つあったんですよね。ひとつは「WHILL」を欲しいという声が、世界中から寄せられたこと。2つめは、モノを作っていて、これだけ意味あるって感じられることがなかったんですよ。人の心にディープに刺さって、本当に必要だって思われるようなモノを作っているっていう感覚が。
仲:「WHILL」は必要とされるモノだって感じたんですね。
杉江:そうですね。作る意味があるなって感じましたね。この製品は「社会のボーダーを越えるぞ」と思えました。社会の価値を何か変えられる気がしました。車イスは病人のもの、というカテゴリじゃなくて、新しいモビリティを作るという感覚で。
仲:会社化したのは、2012年の5月ですね。それまでひとりでモノを作っていた感じからは変わりました?
杉江:いちばん変わったのはユーザー視点に立ってプロダクトを作る思考になったことですね。作る人間が勝手に作りたいものを作るっていうのがいままででしたが、「WHILL」は自分がユーザーになるものではないんですね。だからこそしっかりユーザー視点に立たないといけない。
そういうユーザーの視点で考えるって、もともと苦手だったんです。勝手に面白いものを作っていた集団ですから(笑)。そういう意味ではプロダクトに対する思考が180度変わりました。
(構成:田中 攝、撮影:大澤 誠)
(下)は9月3日に公開予定
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