日産を辞めるきっかけとなった”ある出来事”
杉江:いや、全然なかったですよ。30歳くらいでまた何か違うこともやってみようかなとは、漠然と思っていましたけど、まさかここまで“ガチな”スタートアップをやるとは思わなかったですよ。
仲:どういった思考の変化があったんですか?
杉江:日産には3年ほどいましたが、1〜2年は本当に自分が使い物にならなくて、とりあえず言われたことを一生懸命やっているだけでした。それで3年目に入ったあたりから、土日を使って勝手に自分で好きなものをつくるようになりました。そしたらちょっとした事件が起きたんですよ。
仲:事件?
杉江:あるときペットボトルの蓋を作ったんです。母親の「ペットボトルって開けにくい」という一言がきっかけで、 “開けやすい蓋”を作りました。そうしたらこれが好評で、ある企業と組む一歩手前というところまでこぎ着けたんです。そしたら、会社の人事に呼ばれました。まー、自分で言っちゃったんですけど(笑)。「何をやってるんだ」と言われて。「これはボランティアです、だから副業規定には引っかかりません」と、説明したんです。でも、「開発本部にいる人間が他企業の利益にかかわることはしてはいけない」って言われてしまって……。
自分としてはやっぱり納得できなくなって、そういう活動を許可している会社の資料積んでもう一度人事に持っていきました。「時代に遅れている。これからは個人が強くなる時代だから、名前載せたり社名出したりするほうが、面白いやつが日産にはいるんだなって、逆に役に立つに決まっている」と。そうしたら、こいつはヤバいって、怪しいやつだ、変なやつだって、社内で思われるようになりました(笑)
仲:ハハハ、それで辞めようって決めたんですか。
杉江:まぁ、そうですね、そのとき選択肢は2つだなと思いました。ひとつは、会社にいてほかのことは一切しない。もうひとつは会社を辞めて何か新しいことをやる。会社にいながら、別の新しいことをやるという選択肢はないんだなと思いました。それで、辞めて中国の南京に行くわけです。
仲:中国に行く時点で、自分は独立してモノづくりをしていこうって気持ちだったんですか?
杉江:いや、実はそのときはそんなに思っていなかったですね。会社を辞めたときは、潜在的になにか作りたいなって思っていたのが半分と、外に出たいなって思いが半分で。日産の仕事はすごく楽しかった。自分は車のエクステリアにかかわっていましたが、仕事の内容もすごく面白かったし、優秀な人たちもすごくいっぱいいて、本当にいい環境だったと思います。
仲:その組織の中には、杉江さんみたいな価値観持っている人はいましたか?
杉江:あんまりいないと思います。特に会社を作ろうと思っている人は、全然、いないと思います(笑)。そもそも車じゃないものを作ろうっていう人は、そんなにいなかったと思います。
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