日産→中国→世界放浪
仲:どうして中国に行ったんですか?
杉江:中国語がしゃべりたかった。それだけです。世界中どこに行っても中国人はいるじゃないですか。とてもパワフルだし、華僑というコミュニティは世界でとても強い。今後どこの国へ行っても、この中国人コミュニティを味方につけられたら強いだろうなと考えていました。それで、中国語を話せるようになりたいなって思って、会社を辞めた3日後に南京に向かいました。
仲:南京って、反日のイメージがありますけど。
杉江:そうなんですよね。ハードそうなイメージありますよね。だけどせっかく中国に行くからには、普通じゃないところのほうがいいじゃないですか。南京は歴史的に日本と複雑な背景があります。いろいろと学べるかなと。実際に行ってみたら日本人があまりいないし、中国語話すしかない環境だったおかげで、すごく中国語は上達しました。もちろん日本嫌いな人はいましたけど、会話をしていくうちに仲良くなった人がいっぱいいて、最後は「なんでお前帰るんだよ」って言ってくれましたね。
そのあといろいろな国に滞在しながら、そこで受けたインスピレーションを基に何かモノを作っていこうというプロジェクトを始めました。パプアニューギニアとか、ラオスとかボリビアとかウズベキスタンとか、4カ月から5カ月ずつくらい滞在して、ずっとなんか作っていました。作りながらこれから何をしようかなーと、どうやって生きようかなーと。まー、ちょっとしたモラトリアム時代ですね。
仲:WHILL設立前にも、創業メンバーだけで集まって、いろいろなものを作ってきたんですよね。どんなモノを作っていたんですか?
杉江:言っても意味わかんないですよきっと。たとえば「風を可視化するアート」とか。意味わかんないですよね? ほかには、1対1対ルート2のあの三角定規みたいなやつだけでプロダクトを作ろうって言って、1万個くらい三角形を重ねてモノを作りました。やっぱり意味わかんないですね(笑)。自分で言っててわかんないですもん(笑)。まぁ、とにかくガラクタみたいなものばっかりでしたね。
唯一わかりやすいのは、創業メンバーのエンジニアチームのサニーサイドガレージが「蛍を綺麗に見よう」という企画で作ったデバイス。蛍って懐中電灯を当てると早く死んじゃうから、蛍が長生きできて、みんなが楽しめるものを作りたいといって彼らが考えだして。
仲:面白いと思いますよ! じゃあ他の皆さんも本当にものを作るのが好きなだけで、起業を考えていたわけじゃないんですか?
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