「同性婚」合法化へ動き出す、台湾の光と影 同性愛者vs反同性愛者、宗教団体の対立激化
しかし、キリスト教など宗教団体や同性愛反対者にとって、今回の決定は受け入れがたいものだ。
彼らは、今回の憲法解釈は既存の倫理秩序を破壊することと同じだと考え、発表された5月24日は「この世の暗黒日」とまで言った。「われわれは同性愛者を尊重し愛する」と言いながらも、「同性愛者は結婚できないようにするべきだ」と矛盾した姿勢を見せている。このような同性結婚反対者の人数がどれほどになるか、計算するのは難しい。また、同性愛反対者の中には、表面的には同性愛者を問題にすることはないが、実際に自分の子どもが同性愛者になることを嫌い、また同性愛者が社会に広がることを恐れて、それには恐怖感さえ抱いているようだ。
今回のような憲法判断を導き出した主人公とも言える人物がいる。台湾における同性愛運動にとって、精神的指導者である祁家威さん(59)だ。1986年、平凡な28歳の成年だった祁さんは、記者会見を開いて同性愛者であることをカミングアウトし、社会に同性愛者の権益を重視せよと訴えた。まだ台湾では、戒厳令が解除されていなかった時期のことだ。
それから30年間、同性愛者同士の婚姻に異性愛者と同じ権利を与えよ、と運動を続けてきた。祁さんは男性の友人と結婚するため、居住地域の役所や裁判所に行き「婚姻関係を受理せよ」と要求してきたが、拒否されてきた経験を持つ。
芸能人たちも公の場で応援している
憲法解釈が発表されてから3日後、祁さんは台湾で最も有名な人物になっていたが、様子は普段と変わらなかった。ポロシャツに半ズボンというラフな格好で記者の取材を受けた。「当初、台北で行われるゲイパレードには参加者がとても少なく、同性愛者は主張することもなく、社会では誰も関心がなかった。しかし、今ではゲイパレードの参加者は、同性愛者・異性愛者それぞれ同じ数が参加するようになった。これは台湾でこの10年間、同性愛に関する問題に関心を持つ人たちが増えたということだ」と指摘する。2016年、台北で行われたゲイパレードの参加者数は7.8万人に達し、最多参加者数を更新した。
1980年代後半から90年代末、台湾では同性愛者であることを打ち明ける人がまだ少なかった時代に、祁さんは自ら同性愛者であることを告白。社会的に同性愛者の存在感を高める活動を行ってきた。2000年代以降、祁さんは運動の中心を、同性婚へ移した。台湾で社会運動が高まったこの5年間で、「同性結婚を認めよ」という要求も高まり、力を得ることになった。
アジアトップの言論の自由度を誇る台湾で、メディアが同性愛者に対する友好的なイメージをつくりあげてきたこともある。たとえば、ドラマや映画の中で同性愛に関する内容が多く含まれるようになり、芸能人たちも公の場で同性愛者を応援するなど、社会的に同性愛を許容する雰囲気がつくられてきた。同時に、台湾で同性愛に反対する意見が出されれば、そんな意見はすぐさま社会的な検証がなされ、合理的なものかそうでないか判断できるようになってきた。
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