東京の「土木地形散歩」は最高におもしろい 現在の東京の骨格は江戸時代のインフラだ

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陣内:僕は1980年代に初めてお台場を訪れたんですが、感動しました。周囲の建築物は船の科学館ぐらいで、近景に入江の砂浜、中景に台場、遠景に東京都心が見える。お台場という幕末の歴史的なモニュメントが中間にあって、非常にかっこいい風景。海にはウィンドサーファーがたくさんいたけど、彼らもその風景を楽しんでいたと思う。

北河:お台場は「ドボ博」で紹介したインフラの中で唯一の「免疫系」。大砲を置くための台場があるので、「外敵から身を守る」という機能です(笑)。

皆川:お台場は、徳川幕府による土木事業だったので敬意を表して「御台場」なんですね。御台場はもともと千鳥に配置されていました。侵攻してくる敵艦隊に十字砲火を浴びせる設計思想から、その配置が決められました。

陣内:そうみたいですね。

皆川:高い石垣で四周を囲まれていますが、侵攻方向とは逆側に搬出入口を設けるなど設計の工夫が見られます。ちなみに盛り土された大量の土は、どこから運び込まれたかご存じですか?

北河:どこか近場から?

お台場―高輪台地や泉岳寺周辺、八ツ山から土を運んだ

現存するふたつのお台場のひとつ、第三台場。四周を囲む石垣の積み方が美しい。もうひとつの第六台場は立ち入り禁止になっている。江戸の土木遺構(手前)と現代の土木埋立地(奥)との対比が、おもしろい景観を生み出す。写真手前の空きが搬出入口(撮影:大村拓也)

皆川:対岸の高輪台地、泉岳寺周辺や八ツ山の土を運んできました。11基が建設予定でしたが、完成したのは8基。多くは戦後に解体されましたが2基が現存しています。

陣内:そういえば、品川区には「御殿山下台場」の跡に建てられた台場小学校がありますね。

皆川:はい。現地では敷地割に御台場の形状が残されています。実は海に浮かぶ御台場は、中央が窪んだスリバチのような形状です。周囲の高くなった盛り土部に大砲を並べ、中央の窪地に陣屋が構えられていた。

北河:台場はかなりの突貫工事でつくったみたいですね。だから、埋立の土を最低限の量で済ますという意味でも合理的ですね。

陣内:幕末の頃の江戸湾の地図に、台場を建設する目的で測量した図が残っている。その判断のために水深や海底の状態を調べた。それ以前は、こういう地図はなかったんじゃないかな。

皆川:必要もなかったし。でも東京湾って、浅瀬が多いですよね。

陣内:そうそう。だからうっかりすると船が乗り上げる。

北河:台場は、幕末に全国の藩がつくったようで、軍事史家の原剛さんによると1000カ所ぐらいあったと。でも、海上の人工島につくったのは、お台場だけかもしれません。

陣内:東京湾のフロンティアだから。

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