日光・鬼怒川から会津へ「東武特急」の進化 DRC、スペーシア、そして「リバティ」へ

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日光の杉並木をバックに走るDRC1720系(筆者撮影)

DRCが東武の看板列車として活躍したこの時代には、特急ではないものの、赤城方面の伊勢崎線に新型車両1800系による急行「りょうもう」が誕生して、DRCとの二本立てで北関東を結んだ。「りょうもう」は1999年、全編成が新型車両200系に置き換わったことにより特急に昇格し、日光・鬼怒川方面とコンビを組むようになった。

「デラ(デラックスロマンスカーの略)」と呼ばれ親しまれてきたDRCも車体の老朽化などが目立つようになり、次世代東武特急として1990年に登場したのが100系特急電車である。愛称は一般公募により「スペーシア (SPACIA) 」と名づけられた。1990年に通商産業省(当時)の「グッドデザイン商品」に選定され、1991年には鉄道友の会の「ブルーリボン賞」を受賞した。

車内はホテルの設備を意識した豪華な造りで、銀座東武ホテルのデザインを手掛けたデザイナー、ロバート・マーチャントがインテリアを担当した。2人がけシートのほかに6人用コンパートメントといった車内設備、英語が堪能なスペーシアアテンダントの乗務により、さらに観光色の強い特急に成長した。

長年のライバルが手を結んだ

DRCとスペーシアのすれ違い。共通運用の期間は短かった(筆者撮影)

スペーシアが登場して約1年間はDRCと共通運用にあたっていたが、1991年にその任をスペーシアに譲った。

筆者はDRCの晩年、日光付近で、DRCとスペーシアの離合の瞬間を撮影している。共通で使用する期間が短かっただけに今では貴重な写真となった。

2006年春のダイヤ改正からは、東武とJR東日本との相互乗り入れが実現した。新宿―栗橋間はJR線、栗橋―東武日光間は東武線を走るルートで、東武はスペーシア、JRは485系特急電車の日光仕様塗装を使用して直通運転を開始した。思えば戦前・戦後は「日光詣」の乗客を激しく獲得し合った両鉄道会社だったが、手を取り合って相互乗り入れするとは感慨深いものがある。

JR特急はその後車両が変わり、現在は初代成田エクスプレスに使用されていた253系1000番台がリニューアルされ「日光」「きぬがわ」で運転されている。

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