日光・鬼怒川から会津へ「東武特急」の進化 DRC、スペーシア、そして「リバティ」へ
1958年に、それまで非電化だった国鉄日光線が電化されると、国鉄は翌年には準急用でありながら特急並みの仕様を誇る157系電車による準急「日光」の運転を開始、東京―日光間を約2時間で結んだ。
この157系に対抗すべく、東武が登場させたのが1960年に運転開始した1720系「東武デラックスロマンスカー」(DRC)だった。この電車は当時の花形列車だった国鉄特急「こだま」などのボンネットと同様、前後がぐっと突き出たボンネットタイプの流線形を採用。前照灯は縦2個並びで当時の「日産セドリック」に似たスタイルは話題になったものだ。
車内設備も急増する外国人観光客に対応するため、ビュッフェ、サロン室、マジックドアと呼ばれた我が国初の自動開閉式貫通扉などが設けられた。筆者は1964年、18歳のときに初乗車したが、車内に流れる英語のアナウンスに感激したことを覚えている。
車内にはジュークボックスも
昭和50年代には浅草発午前8時台のDRCは外国人観光客で占められていて、さながら国際列車の雰囲気を呈していた。
サロン室には当時大流行のジュークボックス(レコード自動演奏機)が設置されており、アメリカ人観光客がツイストやゴーゴーに興じていたのも懐かしい思い出である。
さて、ここで筆者が不思議に思ったこと……それはジュークボックスの「針飛び」は? ということ。当時使われていたのはアナログレコードであり、レコードを再生するための針は微妙なショックにも「針飛び」を起こすものである。走行中に揺れる車内で、はたして針飛びの対策は? と後日、東武の関係者に聞くと「特殊な装置を施したそうですよ」と疑問の解消には至らない回答だった。
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