人の「怒り」の表出に影響を及ぼすのは、「個人的性質」と「怒りを覚える前の精神状態」という2つの要因だ。
そもそもナルシストや競争心の強い人、耐性のない人は怒りを覚えやすい。男女どちらかがより怒りやすい、というようなことはなく、個人の「性分」が大きく影響する。
とともに重要なのが、「怒りを生む土壌」だ。「怒り」は「二次感情」といわれる。心に巣食う別のネガティブ感情、たとえば、「心配」「不安」「いらだち」「寂しさ」「恐怖」「恥ずかしさ」「疲れ」「痛さ」といった「一次感情」が土台にあり、それがなにかのきっかけに「怒り」として爆発して出てくる。
「怒り」の下には巨大なネガティブ感情
つまり、氷山の海面上に出てくる感情が「怒り」であり、その巨大な氷山の海面下には何らかのネガティブ感情が眠っているわけだ。
そもそも、怒りとは、人類の生存に欠かせない感情だ。食べ物がなければ、飢餓感とともに、怒りの感情を覚え、食べ物を欲する意欲に変えた。また、集団で生きることでしか生存が保証されなかった時代に、本意ではないことを怒りという形でほかのメンバーに伝えることで、集団生活を維持する役割を果たしてきた。
他人の悪事に腹を立てず、見逃していたら、社会は成り立たないだろうし、差別や貧困などに対する「怒り」が多くの革命を生んできた。このように、人々は「怒り」とともに進化してきたわけだが、戦争で多くの命が犠牲になり、物質的にも苦しかった時代と比べ、衣食住というベーシックなニーズが満たされた今も、人々は、つまらない、ささいなことに目くじらを立て、憤怒する。
1つには、極限の飢餓や生命の危機といった状況を脱し、衣食が足りて逆に、求める期待値が上がっていることがあるだろう。何か人と比べて、ちょっとでも足りないとそこにストレスを感じてしまう。現代の生活が「怒り」の一次感情を招くストレス要因に満ち満ちていることも関係しているだろう。
格差の拡大、地球環境の悪化、残業、リストラ、交通渋滞、将来への不安などなど。そこに輪をかけるのが「怒りの集積装置」であるインターネットだ(参考記事:熊本地震に「不謹慎叩き」が蔓延する真の理由)。田んぼで野良仕事をしていたら、見聞きすることもなかっただろう、不愉快な出来事が次から次へと耳に、目に入ってくる。自らの怒りをコントロールし、他人の怒りをいかにかわすか。その上手なさばき方が現代社会をたくましく生き抜くカギとなる。
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