ディズニーの姫で「ソフィア」が別格な理由 「アナ雪」以上?伝統的な価値観からの自由

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ここで描かれるように、小さな子どもは自然のままで「らしさ」の呪縛から自由にはなれない。中には周囲に流されず、自分がやりたいことを主張する子もいるが、多くは「周りと同じようにすべき」という規範にとらわれている。子どもとのちょっとした日常会話で、親がアンバーやジェームズのような決めつけをしていないか。逆に正しい発想を押し付けすぎていないか(私はこの点で反省すべきことが多々あります)。さりげないシーンから、子どもに私たち親が語り掛ける言葉の可能性を見いだせる。

このエピソードでは、最終的にジェームズの支援を得たソフィアがペガサス・ダービーで勝つ過程が描かれている。主となる物語は「女の子も頑張れば何でもできる」であり、小さな女の子たちにとって大きな励ましを与えてくれる。

また、ソフィアとのかかわりが、義理のきょうだいであるアンバー姫やジェームズ王子を変えていくことも見逃せない。わが家ではソフィアのさまざまなエピソードを繰り返し見ており、子ども達はストーリーをよく知っている。それでも、アンバーが「プリンセスはそんなことはしない」と言うと「また、こんなこと言ってる!」と喜んで何度でも突っ込みを入れる。何度も見るうちに、子どもは登場人物の言動を批判的に検証するようになる。

親子の距離感をあらためて考えさせられる

大人が参考になるシーンも少なくない。たとえば、ソフィアたちが森に出掛けるエピソード。ある母親が「キンポウゲ団」と称する女の子グループを連れて森へ行き、自分の手でさまざまなものを作り出す。ガールスカウトを魔法の国ふうにアレンジしている。ここで、ソフィアを心配した執事が「キンポウゲ団」に同行する。自分もアウトドアが得意だ、という執事は、高齢の男性で心配性。大げさな装備と荷物、プリンセスであるソフィアにケガをさせまいと何でも自分がやってしまうため、かえって邪魔になってしまう。

執事の行動が子どもを心配するあまり、過保護になってしまいがちな、現実に存在する親のメタファーであることは、すぐにわかる。ソフィアは執事の配慮を尊重しつつ、自分のことは自分でできる、やりたい、と意思表示し、執事もそれを受け入れる。また、森の中でちょっとしたハプニングが起こり、ソフィアのほうが執事を助けるシーンもある。

『ソフィア』を見ている親は、子どもの成長の早さに驚く時期である。一緒にアニメを見ている子どもが、いつまでも赤ちゃんではないこと。ときに大人の自分が子どもに助けられることもある、と気づき、親子の距離感をあらためて考えさせてくれるエピソードも少なくない。

1回目は気軽にストーリーを楽しみ、2回目以降はそれぞれのエピソードのテーマを子どもと一緒に議論してもいい。また「自分が●●だったら、どうするか?」考えてみるのも面白い。

わが家の娘は『ソフィア』を見るようになってから、好きな色がピンクから紫に変わった。ソフィアが紫のドレスを着ているためだ。小学生の息子に、「『アナ雪』も、『ソフィア』も、王子の役があんまり重要じゃないね。男の子としてどう思う?」と尋ねると「王子がいてもいなくても、子どもは気にしない。面白ければいいんだよ!」と答えた。子どもの感性は、とっくに伝統的な物語から自由になっているのかもしれない。

治部 れんげ ジャーナリスト

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じぶ れんげ / Renge Jibu

東京工業大学リベラルアーツ研究教育院准教授。日経BP社、ミシガン大学フルブライト客員研究員などを経て2021年4月より現職。内閣府男女共同参画計画実行・監視専門調査会委員、日本ユネスコ国内委員会委員、日本メディア学会ジェンダー研究部会長、など。一橋大学法学部卒、同大学経営学修士課程修了。著書に『稼ぐ妻 育てる夫』(勁草書房)、『炎上しない企業情報発信』(日本経済新聞出版社)、『「男女格差後進国」の衝撃』(小学館)、『ジェンダーで見るヒットドラマ―韓国、日本、アメリカ、欧州』(光文社)、『きめつけないで! 「女らしさ」「男らしさ」』1~3巻(汐文社)等。

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