若者たちも「パソコン」を使う必要があるワケ 「スマホがあれば十分」とは言えない現実

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時代が進めば、こうした管理ツールもスマホで使えるようになるかもしれない。もしかしたら筆者が知らないだけで、もうあるのかもしれない。では数十人規模の雇用データを、毎日毎日スマホの画面拡大とフリック入力で頑張って、埒があくだろうか。

スマホもパソコンも同じ道具だが…

スマホで十分こなせるキャパシティ以上の仕事を割り当てられたことがなければ、それに気づけない。スマホにしてもパソコンにしても、しょせんはただの道具であり、手段である。だがそれは、手挽きのノコギリしか使えない人と、チェーンソーが使える人の差でもある。チェーンソーが使える人は、ノコギリももちろん使えるだろう。どっちの人が多様な仕事を効率的にこなせるか、経営者が管理者として雇うならどっちか、考えればわかることである。

これはワード、エクセルが使えないと困るというレベルの、簡単な問題ではない。

スマホアプリには、簡単にアートが作れるものがたくさんある。写真を撮って加工して、アートとしてSNSにアップする等というのは、多くの人が実践している。

だがその加工というのは、自分でやっていると言えるだろうか。大半のスマホアプリが提供するのは、単なる「選択肢」である。このエフェクトのパラメータを上げるとこうなります、好きなものを選んでください、というわけだ。

それは自分の才能というよりも、誰かがセットしてくれた選択肢の中から、選んでいるだけにしか過ぎない。選択肢以上のことはできないのだ。それを、クリエイティブというのだろうか。

むしろその選択肢を用意できる側の人間のほうが、クリエイティブではないのか。画像処理を行なうにしても、それを理解するためにはデジタルデータに対するコンピューティングの知識が不可欠だ。自分の目的に合うソフトウェアやエフェクトがないのであれば、自分で作ればいい。こうした「作るためのツール」は、まずパソコン向けに提供される。

それは、スマホをいじっているだけの側にいる人間には、決して触れることができない世界だ。

それでも、「やがてそれもスマホでできるようになる」と主張する人はいるだろう。だが実際スマートフォンもコンピューティングの一種であり、コンピューティング自身はすでにこなれた技術だ。教材も多い。また教えてくれる人も多い。スマホだパソコンだという議論は、実は意味がないのである。

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根本は、このようなこなれた技術をわざわざ避けて通ろうとするのは、どう考えてももったいない話じゃないのか、ということなのだ。

「将来自動運転の世界がくるから免許取らない」と考えるのは自由だ。だが運転技術を身につけて免許を取れば、いろんな乗り物を運転できる可能性が増える。

人とは違う乗り物に乗れるのは、こなれた技術を学んだものだけだ。それが、答えなんじゃないだろうか。

小寺 信良 映像技術者、コラムニスト

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こでらのぶよし / Nobuyoshi Kodera

コラムニスト/映像技術者/インターネットユーザー協会代表理事。1963年宮崎県出身。テレビ番組の編集者としてバラエティ、報道、コマーシャルなどを手がけたのち、ライターとして独立。AV機器から放送機器、メディア論、子供とITの関係まで幅広く執筆活動を行う。主な著書に「Ustreamがメディアを変える」(ちくま新書)、「子供がケータイを持ってはいけないか?」(ポット出版)など。WEBではAV Watch、ITmedia、価格.com にてコラムを好評連載中。夜間飛行より毎週金曜、メールマガジン「金曜ランチボックス」を発行中。

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