アメリカ人記者は帝国主義者バスで移動した 記者が見た北朝鮮「重大イベント」の一部始終
午前6時の出発までに準備するよう言われた以外、詳細は明らかにされなかった。
午前4時45分に電話が鳴った。前述の当局者からだった。モーニングコールの時間が前倒しされていた。
まもなくすると、ホテルのロビーは世界中から集まった記者たちであふれかえった。皆、ビデオカメラやスチールカメラを持ち、朝鮮語で「記者」と白抜きの文字で書かれた青い腕章を付けていた。
私たちを乗せたバスは日の出とともに、平壌の整備された道路を走り抜けた。グレーのスーツ姿の男性やカラフルな衣装に身をまとった女性の一行が颯爽(さっそう)と歩いていた。その多くは赤色やピンク色の造花を手にし、何らかの大規模な集会に向かっているようだった。
私たちは人民文化宮殿に到着した。そこで2時間にわたるセキュリティーチェックを受け、財布やチョコレートが没収され、黒いビニール袋に入れられた。
セキュリティーチェックが終わると、ロイターの一行はバスに乗り込んだ。すると、当局者が降りるよう私たちに叫んだ。「このバスはアメリカ人専用だ」
「それは帝国主義者のバスだ」と、別の当局者は笑顔でそう説明した。私たちは別のバスに乗った。
新しい住宅街「黎明通り」
私たちは再び、午前7時半ごろ出発した。バスのなかから北朝鮮市民の群集が見えた。しゃがんでいる人もいたが、ほとんど皆立っていた。外国人記者たちを乗せたバスは、市内で最も大きな外国の大使館の1つである中国大使館をちょうど過ぎたあたりで止まった。
私たちは新しい住宅街「黎明通り」にいた。20棟以上が建ち並び、それぞれが30階から40階程度の高層マンションだ。これらを1年以内で完成させたと聞かされた。
まもなくして、大勢の北朝鮮の人々が集まってきた。一部は軍服を着ていたが、大半は伝統的な服装で、風船や造花や国旗を手に持っていた。私たちを興味深そうに見て、うっすらと笑みを浮かべる人もいた。
広場が人でいっぱいになると、ブラスバンドの演奏が始まった。そして午前10時ごろ、群衆は静まり返った。
突然、拍手喝采が沸き起こり、風船や国旗が激しく振られた。すると、ブラスバンドがファンファーレを演奏するなか、金委員長や政府高官がステージに登場した。
この黎明通りの完成記念式典について、朴奉珠首相は「とても重要な、素晴らしいイベントだ。敵の頭上に数百発の核爆弾を落とすよりも強力だ」と称賛。黎明通りの完成は「米国とその臣下たちの企みに対する自立と自己啓発に基づいた見事な勝利」を物語る一例だと語った。
このスピーチの翻訳は、私たちがホテルに戻ってから提供された。
金委員長は話さなかったが、合間合間に拍手していた。約20分間に及ぶスピーチが終わると、分厚い赤色のリボンがステージに広げられた。金委員長はリボンをカットすると、妹の金与正氏が深々とおじぎをするなか、黒光りするメルセデスベンツに乗ってすぐさま立ち去った。
黎明通りが正式にオープンした。
(Sue-Lin Wong記者 翻訳:伊藤典子 編集:下郡美紀)
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