「プリウスPHV」が不人気を吹き飛ばした理由 大幅進化の新型は欧米の挑発に実力で応えた
もうひとつ、先代の不振の理由として考えられるのは、HVとの差がさほどではなかったことだ。トヨタも先代の不振の理由について、価格に見合う価値を提供できなかったことを挙げている。
たしかに先代プリウスPHVのデザインはHVと大差はなかったし、満充電での電動走行距離(カタログ値)はリース型が23.4km、市販型が26.4kmにすぎなかった。
リース時代の先代プリウスPHVを試乗したときのこと。満充電状態で東京都心を出て、首都高速道路を使って鎌倉へ向かったところ、まだ東京都内の羽田空港周辺でバッテリーを使い果たしてしまい、あとは重いプリウスとして走っていたという記憶がある。
プリウスPHVの歴史は長い
プリウスPHVの歴史は、多くの人が予想するより長い。筆者が関係者に聞いた話によれば、今からちょうど10年前の2007年、フランス電力公社(EDF)からの要望に応える形で、先々代となる2代目プリウスを改造したPHVをごく少量製作し、日米欧で実証実験を始めていたのだ。
ここで良好な結果が得られたことから、トヨタはPHVの可能性を確信するようになり、3代目(先代)プリウスをベースとしたPHVの開発を決定。グローバルで500台のプリウスPHVを供給すると発表した。このうち100台はEDFと共同で、仏東部の都市ストラスブールに配置された。
世界初の量産PHVといわれるのは、ともに2010年に発売された中国BYDの「F3DM」と米国GM(ゼネラルモーターズ)の「シボレー・ボルト」といわれているが、トヨタはその前からプリウスをベースとしたPHVを一定数製作し、世界各地で走らせていたのだ。
しかしどの分野でも共通する先駆者の悩みとして、このテクノロジーが世界的に受け入れられるかどうかは、この時点では誰もわからなかった。ゆえに歩みを前に進められなかったのではないかと想像している。
2010年には日産自動車からEVのリーフが発売される。しかし当初のリーフは満充電での走行距離はカタログデータでも200kmであり(現在は280kmに伸びた)、充電ステーション数も現在よりずっと少なく、急速充電でも80%まで30分を要するなど、エネルギー補給の点では欠点が目立った。
こうした欠点は、同じように外部給電によってエネルギーを確保するPHVにも当てはまる。トヨタはライバルメーカーのEV戦略が伸び悩んでいるのを横目で見ながら、「PHVも本格普及は難しい」と感じていたかもしれない。
風向きが変わったのは2013年だった。それまでEVや燃料電池自動車(以下、FCV)に限定されていた欧米のゼロエミッションビークルの枠組みに、PHVが組み込まれるようになり、メーカーやユーザーが優遇を受けられるようになったのだ。ちなみにHVはこの枠組みから除外されている。
たとえば欧州では、2021年までに新車のCO2排出量を1km走行あたり95g以下に抑える決定がなされた。2015年までの目標値が120g/kmだったから、かなり厳しい。そこで欧州ではPHVを優遇するルールを盛り込んだ。
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