日本人が知らない米国「保守派」の本当の顔 偏った報道では浮かび上がらない普通の人々
だから、オバマ政権が推し進めた増税による富の分配、弱者にやさしい政策も「介入」でしかなく、反対なのだ。(ちなみに日本の保守とは逆の考え方なので混乱する人も多いようだが、国としてひとつでまとまるよりは、地域や個々の自由を重んじるという点において、日本のそれとは根本的に違う特徴がある)。
こう説明すると、保守派はあたかも「社会的に弱い立場の人たちには寛容ではない」という印象をもつかもしれないが、それも事実とは異なる点が多い。なぜなら保守派の多くは、キリスト教徒であることが多く、「隣人を助ける」という精神が基本的にあるためだ。
「人助け」に政策はいらない
南部のサウスカロライナ州やミシシッピ州などで暮らしていた頃特に感じたが、教会が中心となって行われる慈善活動は、都市部の比ではないほど活発だった。私も時折ボランティアに出かけたが、保守の人たちの多くは寛大で温かく、白人至上主義で人種差別主義というようなことも特になかった。ハイチで地震があったときには、多くの教会が率先して寄付活動を行ったし、麻薬カルテルで両親を失ったメキシコの子どもに、米国で里親を探すボランティアをしている人にも出会ったこともある。
保守派にとっての「人助け」は、政府が政策として行うことではなく、地域が集まり、大人も子どもも一緒になって世の中を考えることから始まる。一律に増税して政府がそれを管理するよりも、諸経費を考えたら、自分たち個人が自由に人助けしたほうが効率もよいというのが、彼らの主張にはある。
また、慈善活動を行う流れの中で、地域の子どもが世の中の不公平に気づき、自分たちの意思で困った人に手を差し伸べる心を育む方法で寄付はするほうが、社会のためにも次世代教育のためにもずっと良いという考えが根本にあるようだ。
リベラルと保守――。そこには今、相容れない溝が確かに存在する。しかし、米国が真に多様性を重んじ、自由で平等な国を目指そうとするなら、今必要なことは、「相対する価値観への寛容性」なのではないだろうか。
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