「ランペドゥーサ島はここ15年間ほどアフリカからの難民の玄関口になっている。そして5~6年前まで難民は島に上陸していたが、今では上陸前に海軍などに保護されてきている。そして海上で保護された難民は、夜間に島内の難民センターに移動させているため島民の目に触れることがなくなった。難民は、そのセンターで2~3日過ごした後にまた移動する。物理的に彼らが触れ合うことがない。島民もわれわれ同様、ニュースで彼らのことを知ることになる。だからこの映画をランペドゥーサ島で上映した時は、みんな驚いていたよ。だって彼らは、センターがどこにあるかも知らないのだから!」
ロージ監督は「この複雑さをたった数分の映画で収めようとするのは不可能だ」と悟り、1本の長編映画にすることを決意したという。島の真の姿をとらえるために、1年半にわたって島に移り住んだ。ロージ監督は「ベルリン国際映画祭で上映された時、政治的な映画と見られたが、僕は政治的な映画を作ったつもりはないし、自分の作品が政治的だとも思わない。映画の中に政治はなく、映画のフレームの外に政治があるわけだから」と力説する。
島に移り住んで1年半かけて撮影
ヘロイン女性患者の日常を描く『ヴァンダの部屋』などを監督したポルトガルのペドロ・コスタなど、近年のドキュメンタリー映画のトレンドとして、ドキュメンタリーとフィクションの境界があいまいな作品を手がける監督が増えている。そんな現状について「確かにそうだね」と笑ったロージ監督は「現代のドキュメンタリー作家たちは既存のルールを壊していく映画作りを行っている。それはまるで(1950年代におこったフランスの映画運動)ヌーベルバーグのようだよ」と指摘する。
「アメリカでも、ヨーロッパでも、ドキュメンタリーとフィクションの境界線はどんどん薄くなっている。僕だってその境界線をどうにかして壊してやれと挑戦もしている。でもそれは現実をフィクション化したいからというわけではない。現実をそのまま見せるだけでは面白いものにはならないからだ。リアリティを映画の言語を使って撮ることで、何かのメタファーとして、現実とは違ったものを映し出そうとしている。それはすなわち、真実の瞬間をとらえるということになる」
ドキュメンタリーの映像といえば突発的に起こった事態に臨機応変に対応し、多少荒々しくてもその瞬間を収めることに注力するものだと思われがちだが、この映画を観ていると、カメラが映し出す画面構図がカッチリと決まっており、思わず「どうやって撮ったの?」と驚いてしまうような映像世界が展開されている。
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