東京で道路よりも鉄道が発達した3つの理由 4割が未完成「東京の伸びしろ」は道路にある
その後鉄道は新しい街を次々と創った。鉄道網が郊外に拡大すると、その沿線が住宅地となった。新宿駅などのターミナル駅の付近は商業地になり、オフィスや商店が集まった。
その結果、鉄道を事実上の骨格とする珍しい都市ができあがった。人体の骨格と同様に、都市の基礎となる部分を鉄道が担うことになったのだ。
都市の骨格は都市や時代によって異なる。封建都市・江戸では、江戸城を中心とした「の」の字型の濠(ごう)が骨格となった。西洋の主な近代都市では、道路が骨格となった。
ところが東京では、西洋の近代都市をモデルにしたにもかかわらず、道路ではなく鉄道が事実上の骨格となった。山手線を示す円と、中央・総武線を示す横棒を書けば、多くの街の位置関係を簡潔に示すことができるのは、円と横棒が骨格になっているからだ。
それゆえ東京では、道路よりも鉄道を基準に説明したほうが、特定の位置を他人に伝えやすい。たとえば新宿の位置は、「甲州街道と明治通りの交点近く」などと言うよりも、「山手線と中央線の交点近く」と言うほうが、土地勘がない人にも伝わりやすい。
鉄道が道路の交通処理能力を補った
いっぽう道路が骨格をなす都市は、国内外に多数存在し、道路を基準に位置を伝えやすくなっている。たとえばニューヨークや札幌では、道路が格子状で、通りがナンバリングされており、交差する2本の道路で位置を明確に示すことができる。パリやベルリンでは、道路が格子状でなくても、街のシンボルとなる大通りを中心に道路網が形成されていて統一感があり、全体に対する部分の位置付けが東京よりもわかりやすい。
3つ目の理由は、鉄道が道路の交通処理能力を補ったことだ。つまり道路をサポートする役割も担ったことが、結果的に鉄道を発達させる要因になったと考えられるのだ。
日本では、戦後になっても道路整備が大幅に遅れていた。1950年代に高速道路の整備が始まるまでは、道路整備の必要性も十分に認識されなかったからだ。それまでは鉄道偏重の交通政策が長らく続き、国内輸送では鉄道が動脈で、道路交通は鉄道を補完する毛細血管と考えられていた。
東京でも同様の理由で道路整備が大幅に遅れ、それが渋滞による交通の混乱を招いた。戦後に自動車保有台数が急増し、道路の交通需要が高まったにもかかわらず道路網が未熟なままだったからだ。また、人口急増で都市化が進んで市街地に建物が密集すると、用地確保が難しくなり、道路整備はますます進まなくなった。いっぽう鉄道でも利用者が急増して輸送力が不足した。
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