「部下が働かない」と嘆く上司の残念な考え方 自分で答えを出させないと仕事は覚えない
上司の仕事は、部下の意欲を引き出すことである。でもどうやって? 自身がやらかし続けたことでもあるので反省の弁を述べながらということになるが、まず「教えすぎると情熱を奪う」ということが起きるので注意が必要だ。部下が仕事に熱意を持ち、注意力を高め、初歩的なミスがどんどん減っていくように指導するにはむしろ、「何を教えないか」を意識したほうがよい。
人間は不思議なもので、丁寧に教えてくれる人がそばにいると考えなくなる。「自分が考えなくてもこの人が考えてくれるから、まあ、いいや」というサボリスイッチが入るらしい。「思考のアウトソーシング(外注)」をやらかしてしまうのだ。
この現象を端的に示した言葉に「おばあちゃん子は三文安い」というのがある。これは孫がかわいくて仕方のないおばあちゃんが、いくつになっても口までご飯を運んで食べさせてあげんばかりに世話をするので、やがて自分一人では何もできない人物に育ってしまう、という、レアではあるが昔から起きてしまいがちな現象を指す言葉だ。もちろん、おばあちゃんに育てられたからといって、みんなこうなるわけではない。ただ、ネコかわいがりしすぎて育てると、そうなってしまうことがあるようだ。
思い起こしてみよう。誰に聞いたらよいかわからない手探り状態だったのに、自分一人の力でなんとか課題を克服する方法を見つけたとき。あなたは心の中で、とても誇らしい気持ちになったのではないだろうか。この感覚を自己効力感と呼ぶそうだ。自分でも何事かをなし得た、というこの感覚は、教育心理学の言葉として成立するくらい、重要な概念だ。
何事かを自分の力で成し遂げることができた。そんな自己効力感が得られたとき、人は自信を持つことができる。そして、もっといろいろなことにチャレンジしようという熱意が湧く。ところが先回りして教えてしまうと、この自己効力感を味わえないで終わってしまう。「そうすると失敗してしまうよ。こうしたほうがいいよ」。先回りして丁寧に教えてもらえてありがたいけれど、自分自身の力で答えを見つけ出すという快感を味わえないで終わってしまう。仕事がつまらなくなってしまう。そうして、指示待ち人間になってしまう。
自分が味わったような苦労はさせまい、と親切心で教えようとしたことがアダになるのは残念なことだ。しかし、あなた自身も、次のことはわかっているはず。苦労は必ずしも苦い思いばかりではなかった、ということだ。「できない」ことが「できる」に変わった瞬間、あなたは強い達成感を覚えたはずだ。その達成感、自己効力感を、部下にいかに味わってもらうか、ということに考え方をシフトさせてみよう。「答えを教える」よりも、「できるようになった快感」をどうやって強めるかを意識してみよう。
続・部下に答えを教えるなかれ
教えた側というのは「それ、前にも教えたことあるぞ」というのをよく覚えているもの。ところが教えてもらった側は何も覚えていないことが多い。教えることは能動的、教えてもらうことは受動的だからだ。ならば、記憶をしてもらうには、部下の側が「能動的」になる必要がある。
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