過去の歴史を紐解いてみれば、ワーグナーが自らのオペラを上演するために作り上げた聖地「バイロイト祝祭劇場」での「建設の定礎記念(1872年)」公演で例外的に「第九」が演奏されたほか、第二次世界大戦後の「バイロイト音楽祭再開(1951年)記念」公演でも「第九」が演奏されている。さらには、大戦によって破壊された「ウィーン国立歌劇場」の「復興記念コンサート(1955年)」で演奏されたのも「第九」だった。
近年では、1989年のベルリンの壁崩壊直後にレナード・バーンスタイン指揮の下、東西6つのオーケストラと合唱団の合同演奏で行われたメモリアルな「第九」が記憶に残る。ここでは、「歓喜の歌」の歌詞が通常の「フロイデ(歓喜)」から「フライハイト(自由)」に変えて歌われていたことも印象的だ。
なぜ日本では年末に「第九」なのか
日本ではもちろん海外においてもこれほどまでにクローズアップされる「第九」とは一体どんな作品なのだろう。正式名称はベートーヴェンの「交響曲第9番二短調(合唱付き)」。音楽室に飾られた肖像画でお馴染みの〝楽聖“ベートーヴェンが完成させた9番目にして最後の交響曲だ。第4楽章には、ドイツの詩人シラーの頌歌「歓喜に寄す」を歌詞とする合唱が盛り込まれ、有名な「歓喜の歌」が高らかに歌いあげられる。
初演は1824年5月7日、ウィーンのケルントナトーア劇場でべートーヴェン自身の指揮によって行われたが、すでに耳が聞こえなくなっていたベートーヴェンのために補助(実質)の指揮者が用意されていたという記録に心が痛む。当時ベートーヴェンは54歳。死はその3年後に迫っていた。日本での初演は1918年(大正7年)6月1日。徳島県鳴門市にあった捕虜収容所でドイツ人捕虜によって行われている。そのあたりの詳細については2006年公開の日本映画「バルトの楽園」に描かれているので興味の有る方は是非ご覧いただきたい。
ではなぜ年末の日本で「第九」がこれほど演奏されるようになったのだろうか。
これには、「NHK交響楽団」の前身である「新交響楽団」が密接に絡んでいるとの説が有力だ。1927年(昭和2年)の第9回定期演奏会で初めて『第九』を取り上げたことを皮切りに、以後昭和20年の終戦までに30回も『第九』を演奏しており、そのうちの6回が年末だったことに端を発っしているようだ。
さらには、終戦間もない1947年(昭和22年)に「新交響楽団」から改称した「日本交響楽団」が年末の日比谷公会堂で行った3回の「第九」が今に至るきっかけとなった可能性が高い。戦後苦しい運営状況の下にあったオーケストラが、団員の年越し費用を稼ぐために人気の高い「第九」を演奏して収入を確保する思惑もあったようで、いつの間にか定番となっていった。
なにはともあれ、今や「第九」は日本の年末を彩る風物詩であることは間違いない。そしてその人気は録音の世界にも及び、これまでに発売された『第九』のアルバム数は200種類を超えるとも言われているのだから恐れ入る。まさに“クラシック史上最大のヒット曲”と呼ばれるに相応しい。
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