ノーベル経済学賞「不完備契約の理論」の意義 情報が不完全な中、どのように契約を結ぶのか

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不完備契約の理論が活躍しているのは、民間分野だけではない。医療や教育など公共サービスの民間委託の是非において、現実に沿った理論的な議論を可能にした点も大きな功績だ。

先述のように、新古典派の理論では情報の完全性や確実性の仮定の下、経済取引などはすべてスムースに効率的に行われると想定されているため、そもそも依頼人と代理人による契約というプロセス自体が捨象されている。この新古典派理論を公共サービスの民間委託の議論に適用すれば、政府の規制がほとんどない完全民営化が最も効率的な社会・経済状況を生み出すという単純な結論に至るだけだ。

現実の公共サービスの見直しに寄与している

このような新古典派の理論をファーストベストと言うが、情報の完全性や確実性の仮定にそぐわない現実社会では、そのファーストベストは成立しないので、セカンドベスト(次善の策)として理論的な議論を進める必要が出てくる。そのとき、不完備契約の理論は一つの重要なツールになっているわけだ。

具体的には、その依頼人(政府)と代理人(公的セクターか民間企業)の契約構造から、公的セクターによる公共サービスは質の改善と質を犠牲にしたコスト削減の双方にあまりインセンティブがない。一方、民間企業による公共サービスでは質改善とコスト削減により強いインセンティブがあるものの、質を犠牲にしたコスト削減が強力に進められることが不完備契約理論によって説明されている。

一口に公共サービスと言っても、医療や教育、保育所からゴミ収集、郵便、公共交通、一部の国での電力、通信、航空まで幅広い。質の計測が容易かどうかなどサービスごとの違いを考慮したうえで、民間委託がよいのか公的セクターがよいのかを一つ一つ不完備契約の観点で検証していくことが可能になっている。

実際、ハートはこの理論を基に論文で米国の民間刑務所に懸念を示していたが、今年8月に米国政府は民間刑務所の状況が悪いとして段階的に打ち切ると発表した。今後も世界の公共サービスのあり方に影響を与えていきそうだ。
 

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