「補助剤」と戦い続けた卓球・水谷選手の覚悟 ラケットの補助剤不正使用問題を検証する
「でも、ぎりぎりのところで、このままだと一生後悔することに気づいたんです。自分がもっとできることを証明しなければならない。そのためには新しい環境で自分の卓球を変えるしかない。そう覚悟を決めました」
水谷は日本を離れ、2013年9月からロシアのプロリーグに参戦、世界的な評価を得ている邱建新とプライベートコーチの契約を結んだ。 ロシアに渡った日本のエースは食事管理を徹底し、邱コーチの指導で新しい技術の習得に励んだ。補助剤の問題については口を閉ざし、新たなプレースタイルを身に付けることで、その理不尽な壁を乗り越えようとしたのだ。
この間、日本の卓球界もただ指をくわえて事態を静観していたわけではない。
日本卓球協会は再三にわたってITTFに事態の改善を求め続けた。接着剤を公認制にし、成分を正確に把握したうえで試合後にはがしてチェックする方法や、反発係数に制限を設ける案などを提案してきたが、ITTFの重い腰を動かすことはできなかった。
「トップクラスの選手を多く抱え、ITTFの人脈も占める中国の存在が大きい。補助剤の公認を求めている中国に連盟が逆らえない」
そう指摘する協会関係者もいたが、筆者には選手たちのモラル低下にこそ、根源的な問題があるような気がしてならなかった。グルーを塗っていた時代を知る選手たちにとっては、ラバーを弾ませるために溶剤を塗る行為そのものに抵抗がない。
その違法行為を他の選手たちもやっている現実があれば、さらに罪悪感はなくなっていく。だが、その延長線上にあるのは、卓球という競技の没落である。
そのことに危機感を覚えたからこそ、水谷は選手生命をかけて告発したのだ。
4年後の東京までに私たちが伝え続けるべきこと
『Number』の記事を読み返すと、当時の水谷が筆者に伝えてくれた覚悟に胸がつまる。
日本卓球界の至宝と呼ばれていた男が「アスリートにとって時間は命です」と語ったあと、こう続けていたのだ。「自分が愛した競技のために、僕は捨て石になってもかまわない」と。
言うまでもなく、補助剤問題の追及はアスリートがやるべきことではない。ITTFがリーダーシップをとり、徹底的に取り締まる姿勢を示せば解決する問題である。
水谷が2つのメダルを獲ったあと、補助剤問題に焦点を当てる報道も相次いだ。その関係で筆者にコメントを求めるメディアはテレビや活字を問わずにいくつかあったが、それは改めて自己反省と向き合う機会でもあった。
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