黒田緩和が開けてしまった「パンドラの箱」 市場動向を読む(債券・金利)

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しかし、日本の場合、その政策目標があまりにも非現実なものであるがゆえに、中央銀行の国債購入は一時的な政策措置にはとどまらないと市場では想定せざるを得なくなっているのである。それは同時に、「流動性」の低下が短期的なものではなく恒常的なものとなることを意味している。

こうした認識が債券投資家の間に定着していくことにより、日本国債のリスク・プロファイル自体が変質してしまい、それがまた投資家にとって日本国債をより保有しにくい資産に変化させ始めている可能性がある。

日本国債のリスク・プロファイルという観点においては、日本国債が国内の金融機関にとって有効な収益資産である限りにおいては、財政状況がいくら悪化していても、その投資需要が根本的に減退してくる事態は起こらない。しかし、リターンに対して明らかにリスクが上昇してしまったと市場で認識されてしまった場合、投資家の行動は変化する。

もちろん、今回の金融緩和のそもそもの意図は、国内金融機関が日本国債保有に固定化させている資金から株式・不動産・外貨建資産といったリスク性資産へのシフトを促すことにあるので、日本国債のリスク・プロファイルの悪化を目指しているのだということも一面の真実ではあろう。

いずれ日銀が政府債務全額を保有する、というイメージ

しかし、そういった政策を、市場に全く配慮なく推し進めていくことの最終的な帰結は、「日本の政府債務は、いずれ日銀が全額を保有することになる」という状況かもしれない。少なくとも、市場はそういうイメージをわずかに持ち始めている。

ここに、「財政ファイナンス」という概念における究極の問いが投げかけられる。すなわち、「たとえ市場からの購入であったとしても、日銀が国債発行の全額を保有してしまった場合、それは財政ファイナンスではないのか」という問いである。

この点については、実は昨年12月27日の当欄において言及をしている。そこで述べた結論は、「財政ファイナンスかそうでないかは、中央銀行の国債保有額によって決まるのではなく、中央銀行の国債購入政策が拡張的な財政政策を誘発するかどうかである」ということであった。

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