そして、心身共に、人の脳は成人後も発達の余地を残している。発達の速度は加齢によって衰えるだろうが、たとえば現状右利きの方は、左手で100回「あ」の文字を書いてみてほしい。1文字目よりも100文字目のほうが、明らかにマシな文字が書けているのではないか。1万文字書けばそうとうにこなれた文字が書けるだろう。
多少の個人差はあろうが左指の技巧性は新たに「発達」し、その動きをつかさどる脳神経細胞が新たなるネットワークを構築したということなのだ。同様に情動のコントロールなども、やはり訓練と経験を積むことで、それを担当する脳神経細胞が賦活される。
ならばここに、ひとつの大きな可能性が見えないだろうか。
提言したい。
「貧困脳」には、ケアの余地がある。
世代間を連鎖する貧困者には、その劣悪な環境から大きなダメージを脳に負ってしまった者と同様に、その環境から適切な発達をすることができずに不定形発達者となり、結果として社会的排除を招きやすいパーソナリティになってしまった者たちがいる。それはすごく面倒くさい人たちだ。
だけど、彼らが苦手とする自分自身の心身のコントロールは、現状では脳卒中医療などに人材が集中しているリハビリ医療を施すことで、またはそのリハビリ医療の延長線上にある「発達支援医療」を施すことで、再度発達し、定型(社会的排除を受けづらいパーソナリティ)化する可能性がある。
生活保護受給者のケアにリハビリ医療を
ならばそれこそ、生活保護受給者のケアにリハビリ医療を使うことはできないだろうか。虐待や育児放棄で発達の機会を逸していることの多い児童養護施設の子どもたちや、不登校の子どもたちや、すでに大きなドロップアウトを経験した少年院の子どもたちなどにも、リハビリ医療の可能性を転用することができないだろうか?
エビデンスなしに推論ベースの言説を垂れ流しているのが心苦しいが、そもそも研究の端緒とは推論。この記事を読んで、研究領域とエビデンスにまで昇華してくれる人たちが現れれば、ようやく貧困問題が生産的な議論のステージに登ってくれると思う。
と、きれいにまとめたいところだが、次回はそもそもここまで記述してきた「不定形発達者と社会的排除」が、実は日本の貧困問題の大きな落とし穴であることについて書きたいと思う。そもそも日本は定型発達者以外を排除しがちな社会で、その傾向が加速傾向にあることについて触れたい。
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