つまり、脳神経細胞は不可逆だが、その機能は可逆。
そしてその機能の復活を支援してくれるのが、再発を防ぐ脳外科医療と並立して患者を支えるリハビリテーション医療だ。実際、僕自身の高次脳機能については随分と長い時間をかけて回復の途上にあるが、特に手指の技巧性の回復については、このリハビリ医療によってちょっと驚くような回復経験をした。
ほとんど力も入らず、まったく思いどおりには動かなくなっていた左手指が、入院中の毎日のリハビリと自主トレで、昨日動かなかった指が翌日には動き、先週は別々に伸ばせなかった指が翌週にはバラバラに動くようになり、ほぼ物をつかむことすらできない状態からほんの1カ月と少しで、スピードは遅いながらも原稿入力のタイピングができるようになるまで回復した。発症直後は「記者生命終わったな」と思っていた僕にとって、その経験は感動そのものだった。
貧困問題に言及する連載で脳卒中医療について長々言及するのには、理由がある。このフィジカル面においてのリハビリは実に感動的な体験だったが、その間に僕は、高次脳機能障害になった自分とこれまでの貧困当事者に多くの共通点と既視感を感じたのと同様に、いくつかの別の既視感を感じたからだ。
第一に、日々のリハビリで次々に機能を取り戻して行く体験を、僕は自らの幼児期・少年期の「発達の再体験、追体験」のように感じた。たとえば生まれて初めてサッカーボールに接したとき、ボールは蹴っても思う方向には飛んで行かなかった。だが、何度も何度も壁に向かってボールを蹴り続け、夕暮れになっても蹴り続けることで、翌日には明らかに思う方向に思う力でボールを蹴り出すことができるようになった。大変なのは、利き足とは逆の足での蹴り出しだが、これも練習を積めば積むほどに僕は「発達した」記憶がある。
本当に「発達障害」と呼んでいいのか?
初めてゲーム機のコントローラーを手にして体を悶えさせつつ自機のコントロールを覚えたこと、ヨーヨーを思いどおりに繰り出せたときの喜びや、バランスを取るのが精いっぱいだったローラースケートが翌日には滑れるようになっていた感動。いちいち比喩がオッサンなのは世代なので申し訳ないが、こうした記憶とはいわば「フィジカルの発達」の記憶であり、多くの人に普遍のものと思う。リハビリ医療における回復とは、この発達の追体験、再体験だった。
だがここで立ち戻って、ひとつ考えてみてほしい。僕が取材を続けてきたあの「発達障害っぽいアウトロー」の少年少女は、発達「障害」だったのだろうか? 確かに明らかに吃音やチックなどの発達障害的な特徴のある子も少なくなかったから、実際、障害の域の者も少なくなかったと思う。だがそもそも、極端な機能不全家庭で育ってきた者とは、当たり前の発達の経験や機会を失った者なのではないだろうか。
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