若い貧困者に本当に必要なケアとは何なのか 生活保護受給者には「リハビリ医療」が有効だ

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発達障害界隈では障害なのかそうでないのかに絡む表現手法で「発達凸凹」とか「不定形発達」などという言葉があるが、まさに彼らの発達は、それまでの不適切な生育過程で作られた「不定形」だったように思えてならないのだ。

文句を言えば即座に殴られる環境で育つ。暴言と罵倒の飛び交う環境で育つ。あらゆる自由を奪われ、または逆に野生児のごとく一切の抑制を教わらずに育つ。挙げていけば数限りないが、そうした環境で育った者の発達が非定型なのは当たり前で、そもそも定型的な発達をするほうが不自然ではないのか。

そうした環境が彼らの不定形な発達と社会的排除を受けがちなパーソナリティの一因だとすれば、いわゆる貧困と虐待の世代間連鎖といった言説にも別の解釈ができる。虐待や貧困家庭に育った少年少女とは別に、大人の貧困者の取材過程で共通点に感じている「毒親育ち」もまた、この解釈に含まれそうだ。断言できるのは、人は教育と訓練と適切な経験がなければ、定型的な発達をすることができないということだ(何が定型かは別にして)。

そう考えたとき、これまでの貧困リスクが非常に高い一群の「見えづらい痛みを抱えた取材対象者たち」もまた、さらに一段階分けて考えることができるように思う。

まず前回記事で指摘したような精神疾患や診断可能な発達障害者などは、それ事態がその苦しみを可視化するのが難しいという側面を持っているが、同じく指摘したように支援側にその判断基準の専門性を高めることで、サルベージの率は上がることと思う。

一方でそのボーダーライン上にいるように見える「環境を要因とする非定型発達者」にもまた、適切なケアは存在する。それはおそらく、リハビリ医療の延長線上にある「発達支援医療」とでも言えるものだ。

「人」の発達とは「脳」の発達だ

人の発達とは、体の動きや精神の働きを含めて、すべて「脳の発達」とも言える。生まれたままの子どもは、経験や教育と訓練がなければ、はしを使うことどころか、茶碗を落とさずに手の上に持つこともできない。階段を駆け上がることも、ボールを効率よく投げることも、怒りの気持ちを我慢することも、喜びの気持ちをうまく他者に伝えることもできない。

一方、個人による得手不得手はあるが、訓練することで人間=脳の機能は発達する。楽に生きられる人とは、心が器用だったり心のコントロールが得意な人で、前回の連載で一文だけ触れた認知行動療法などは、この「心の技巧性」を高める医療だ。脳梗塞後のリハビリ医療も、身体機能のみならず認知判断能力や情動のコントロールを回復(再発達の支援)させるものであり、そもそも脳卒中医療では手指の回復などを担当している作業療法は、もともと精神科医療領域から生まれてきたものだ。

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