東武にも影響?日光を目指した幻の電鉄計画 取り消された路線免許を「国に盾突いて」復活

✎ 1〜 ✎ 8 ✎ 9 ✎ 10 ✎ 最新
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小
画像を拡大
巣鴨駅付近を走る山手線。東京日光電鉄の東京ターミナルは同駅近くに設置されるはずだった(写真:ニングル / PIXTA)

東京日光電鉄は、その名の通り現在の東京都と栃木県日光市を結ぶはずだった、幻の鉄路だ。大正期の1921年4月、発起人グループが地方鉄道法に基づく営業許可(地方鉄道免許)を申請し、1923年7月19日に免許が下りた。東京側のターミナルは現在の山手線巣鴨駅付近に置き、岩槻や栗橋、栃木、宇都宮を経て日光に至る、全長81.7マイル(約131.5km)の計画だった。

当時の地方鉄道法に基づく手続きでは、免許に続いて工事計画(工事施行認可)の申請を行う必要があり、その期限が免許時に設定された。この期限内に工事施行認可の申請書を提出しなければ、免許が取り消されてしまう。東京日光電鉄の場合、申請期限は免許交付日から1年後(1924年)だったが、100km以上の工事計画をまとめるには相当な時間がかかる。しかも、免許取得から1カ月半後には関東大震災が発生。当初の期限までに申請するのは困難な状況になった。

そこで東京日光電鉄の発起人らは1924年6月、申請期限を1925年7月まで延長するよう申請する。ところが、当時の私鉄監督行政を担っていた鉄道省は申請期限の延長を却下。これにより東京日光電鉄は申請期限切れとなり、1924年9月2日付で免許が失効してしまった。

裁判で取り戻した路線免許

当時の鉄道大臣だった仙石貢は、申請期限の延長を繰り返すなどして鉄道計画を「塩漬け」にしていた起業家らに対し、免許を取り消すといった厳しい姿勢で臨んでいた。いつまでたっても実現しない鉄道計画が有効な状態だと、沿線の開発計画などをまとめるのに支障を来すためだ。東京日光電鉄についても実現の見通しが立たない計画と断じ、震災復興事業にも支障するなどとして延長を却下したという。

こうして東京日光電鉄は幻の鉄路になった……はずであったが、発起人は「震災というやむを得ない事情があるのに、期限延長を却下するのは不当」などとし、裁判に打って出た。さらに、免許失効から1カ月後の10月8日には地方鉄道免許の再申請も行い、二段構えで鉄道省にくってかかった。

免許の再申請は翌1925年4月に却下されたが、裁判の方はその後も続き、1929年3月には却下処分を取り消すとした判決が下った。こうして東京日光電鉄の免許は効力を復帰。巣鴨~日光間を結ぶ幻の鉄路が「復活」した。

一度は取り消された免許が「復活」したのは戦前戦後を通じ、これ一回きりのようだ。当時の鉄道行政も多少は混乱したに違いない。免許「復活」から数カ月後に刊行された『地方鉄道軌道一覧』にしても、各事業者の掲載ページの割り振りが終わった後で東京日光電鉄が「復活」してしまい、やむを得ず沖縄県営鉄道の次のページに押し込んだように思える。

次ページ東武の進出で再び幻に
関連記事
トピックボードAD
鉄道最前線の人気記事