海も放射能で汚染されているのに、海水を真水にしてシャワーや食事に使っていた。だから内部被曝もひどかったに違いない。士官たち以外は安定ヨウ素剤も飲まずに活動していたようだ。
けれども兵士たちは入隊するときに、どんな被害があっても米政府を訴えないと誓約書を書かされている。医者や軍も因果関係を認めない。それでやむなく、東電やGEを訴えた。
当初8人だった原告は今では400人を超えるという。その一方ですでに7人が亡くなっている。7人目は私が会見をしている場に訃報として飛び込んできた。東電は放射能と健康被害の因果関係について明言せず、裁判の管轄権は日本国内とすべきとして、裁判の開始を引き延ばそうとしているという。
「思わず涙が出てしまった」
――元兵士と会って、どう感じたか。
彼らは恨みがましいことなんて、一言も言わなかった。これ(トモダチ作戦)は任務だと。運が悪かったとも言わない。こんな目に遭っても日本が好きだともいう。思わず涙が出てしまった。そしてこれは何とかしなきゃいかんと。
外務省の北米局長とも話をしたが、政府としては何もできないと言われた。それで、一国民として何ができるかを考えて基金を立ち上げた。
――基金創設の反響は。
私と(脱原発活動を共にする元首相の)細川護煕さんのほかにも、かなり有力な人に発起人になってもらおうとしたが、裁判が行われていることを理由に勘弁してくれと言われた。東電とかGEがかかわっているから不利だよね。米国と付き合いの多い人にも頼んだが、無理だと。そうしていたところ、高名な建築家の安藤忠雄さんが、自分も資金集めを手伝いたいと申し出てくれた。8月18日には安藤さんの呼びかけによる私の講演会が大阪市内で開催される。参加費は全額が支援基金に寄付される。本当にありがたい。
基金の募集は来年3月末まで。すでに、何がしか寄付させてほしいという人も多い。日本人を助けてくれた彼らの窮状を何とかしたい。
――「原発ゼロ」の主張を始めたのは原発事故後?
総理大臣のとき、原発は必要だと思っていた。だが、引退して原発事故を目の当たりにしてから勉強を始めた。それで、「安全、低コスト、クリーン」という経済産業省や電力会社の説明が全部ウソだとわかった。間違ったことを信じてきた後悔の念とともに、このまま黙って寝ていていいのかという気持ちから、過ちを正そうと思い、原発ゼロの講演活動を続けてきた。それを知った毎日新聞の記者がコラムに書いたことで一躍話題になった。
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