「原爆投下」を阻止できる可能性はあったのか 太平洋戦争「最大のイフ」を検証する
Q8. 「原爆を輸送中に撃沈できた可能性」はなかったのですか?
可能性はありました。インディアナポリスが原爆をテニアンに届けたのが7月26日です。「伊58」が日本を出港したのは7月18日。もしこの出港があと「2日」早ければ、場合によっては、原爆「輸送中」のインディアナポリスを、テニアン到着前に「撃沈」できたかもしれないのです。
そして実は、「伊58」はその2日前にあたる「7月16日」に、一度「出港」していました。しかし、不具合が見つかり日本に帰港してしまいます。
この「2日のタイムロス」が、結果を左右したかもしれないのです。
終戦が遅れれば「3発目」の可能性もあった
Q9. つまり、「不具合」がなければ、撃沈の可能性があった、と。
その通りです。7月18日に再び出港した伊58は、「10日後」の7月28日、グアムとレイテを結ぶ航路上で敵の輸送船と駆逐艦に遭遇し、これを攻撃しています。
この地点は日本からテニアン島までの距離にほぼ等しいため、仮に伊58が「16日」の出港後、トラブルなくテニアン島の方面に向かっていれば、「10日後」の7月26日に、まさにテニアン到着「寸前」のインディアナポリスに「遭遇」できた可能性がありました。
Q10. では、この原爆輸送を阻止していれば、日本は被爆国にならずに済みましたか?
そうとは言い切れません。もし、広島と長崎に原爆が投下されなかったら、終戦はもっと遅れていたことも考えられます。
そうなれば、アメリカはあらためて原爆を日本に投下したとも推測されます。実際、「3発目」の原爆はすでに製造されていましたが、終戦によって投下をまぬがれました。
ここまで書いてきたことは、あくまで歴史の結果から想像した希望的観測に過ぎません。
もし、原爆輸送中のインディアナポリスを撃沈できたとしても、日本にはすでにアメリカに対抗する兵力もほとんど残されておらず、原爆投下や敗戦を回避できたとは考えにくいでしょう。「歴史に“イフ(if)”はない」ともいわれますが、日本の敗戦はすでに決定的でした。
戦後70年、一面の焼け野原から始まった日本の復興は、数々の紆余曲折を経ながらも、現在では多くの分野で世界を主導する地位を築くまでになりました。
近年、「戦後」という実感に乏しい世代が社会の中心へと移行し、こうした「語り継ぐべき記憶」が徐々に薄れてきています。しかし、このような戦争の犠牲と反省のうえに、現在の平和な日本は築かれてきたのです。
夏は「歴史」の季節です。いまある「日本」はどのような道をたどってきたのか。「日本史」を学び直し、「過去」と「現在」の密接なつながりを勉強してみてください。「日本史」には、「現代を理解するためのヒント」が無数に詰まっています。
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