「原爆投下」を阻止できる可能性はあったのか 太平洋戦争「最大のイフ」を検証する
今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。
本来は「小倉」の予定、第三目標は「新潟」だった
Q1. 原爆によって、どれほどの方が被害に遭われたのですか?
広島には当時、軍関係者等も含めて35万人がいたと考えられていますが、昭和20年12月末までの死者は約14万人と推定されています(広島市の資料)。
人口約24万人だった長崎市では、同じく昭和20年12月末までの推定で、死者7万3884人、重軽傷者7万4909人と報告されています(長崎市原爆資料保存委員会)。
しかし、これらの数字には、その後の「原爆症」による被害者は含まれていません。のちに亡くなった被爆者も加えた「原爆死没者名簿」に記載されている数は、2015年8月現在で、広島29万7684人、長崎16万8767人です。
Q2. 広島と長崎に投下された原爆は、種類が違うんですよね?
はい、原料が違いました。広島の原爆は「ウラン」を核分裂させたのに対して、長崎の原爆は「プルトニウム」を核分裂させた爆弾です。威力は長崎のプルトニウム型のほうが3割ほど大きいものでしたが、地理的条件などから被害は広島のほうが大きいものでした。
Q3. 「長崎は本来の攻撃目標ではなかった」のは本当ですか?
本当です。アメリカが8月9日に原爆を投下する予定だったのは「小倉」でした。長崎は小倉に投下できなかった場合の第2目標でした。ちなみに、第3目標は新潟だったといわれています。
当日、原爆を搭載した爆撃機は、予定通り小倉上空を目指しますが、予定地点の天候が悪くて視界も悪く、何回か投下を試みるものの最終的に断念します。
その後、第2目標の長崎に向かったところ、長崎も厚い雲に覆われていましたが、わずかな雲の切れ目から偶然、投下予定地点の市街が見え、原爆が投下されました。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら