三陸鉄道の社長が最後に伝えたかったこと 「震災」「あまちゃん」、激動の6年を経て退任

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――山田線が移管された後の構想はありますか。

震災前は1日10往復程度でしたが、これを11往復以上にしようと考えています。それから運行区間を生活圏に合わせたものにしたい。たとえば、三陸鉄道の北リアス線とつなげて陸中山田発久慈行き、あるいは南リアス線とつなげて大槌発盛行といったものです。かつては盛から久慈まで直通していた列車が1日1往復ありましたが、これも2往復以上にする。また、今は駅から離れた場所にある宮古市役所が宮古駅の南側に移転します。市役所へのアクセスがよくなり鉄道の利用促進にもなる。一石二鳥です。

――3期6年の任期を全うして、今の心境は?

今まで単身赴任でしたから、ようやく盛岡に帰れるという気持ちです。正直、山田線の移管を見届けるまで残ったほうがよかったかもしれないという気持ちもありますが、移管まであと3年くらいかかりますから、そうするとあと2期務めないといけない。これはさすがに無理。今がちょうどいい区切りです。

危機が起こる前に対処法を考えておく

望月正彦(もちづき・まさひこ)/1952年山梨県生まれ。山形大学卒業後、岩手県庁入庁。自然保護課、知事秘書、盛岡地方振興局長などを務める。2010年三陸鉄道社長。2016年6月から岩手銀行社外監査役

――三陸鉄道退任後は岩手銀行の社外監査役に就任されます。三陸鉄道を見事復旧させた危機管理能力は銀行にも生かせそうですね。

いえいえ、金融機関は初めての経験なので気が引き締まります。

――最後に三陸鉄道の6年間で得た経験を、読者のみなさんにお伝えするとしたら。

危機管理とはダメージコントロールです。船にトラブルが起きたら、乗組員は沈没しないように対処する。われわれもダメージを受けたときにどうすれば元に戻せるかを普段から考えておくことが必要です。

そして目標も普段から考えておくこと。あいまいな目標ではダメ。夢に終わってしまいます。実現可能な目標を立てて、プロセスを踏んで少しずつ前進すれば、大きな目標も必ず達成できるのではないでしょうか。三陸鉄道だって、3年で復旧するなんて無理だと思う人が多かったのに、みなさんのおかげで復旧できましたからね。

(写真:記者撮影)

大坂 直樹 東洋経済 記者

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おおさか なおき / Naoki Osaka

1963年函館生まれ埼玉育ち。早稲田大学政治経済学部政治学科卒。生命保険会社の国際部やブリュッセル駐在の後、2000年東洋経済新報社入社。週刊東洋経済副編集長、会社四季報副編集長を経て東洋経済オンライン「鉄道最前線」を立ち上げる。製造業から小売業まで幅広い取材経験を基に現在は鉄道業界の記事を積極的に執筆。JR全線完乗。日本証券アナリスト協会検定会員。国際公認投資アナリスト。東京五輪・パラにボランティア参加。プレスチームの一員として国内外の報道対応に奔走したのは貴重な経験。

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