三陸鉄道の社長が最後に伝えたかったこと 「震災」「あまちゃん」、激動の6年を経て退任
――予算が通っていないのに工事を始めたのですか。
はい。普通は国の予算が通っていないのに起工式を始めたら怒られます。でも、県が国の補正予算の県負担分を9月の補正予算で予算化してくれた。それを口実にしました。起工式に法務省の政務官がやって来ました。「まだ、だめだよ」と言われるかと思いましたが、言われませんでした(笑)。
――行政の人って、フライングとか、手順を踏まないことを嫌がるのでは?
すごく嫌がりますよ。でも、復旧計画では2012年4月に一次復旧するとなっているので、11月21日に予算が通ってから着工したら間に合わない。だから先に準備を進めたのです。何か問題が起きて「責任取れ」と言われたら、責任取ればいいだけの話ですから。命を取られるわけじゃない。そういう開き直りはありました。
――そういう仕事の仕方は県庁でもされていたのですか。
実は結構ありました。タフな仕事をやらされることは多かったです。場慣れしていたということですかね。
――6年の間に仕事が嫌になって、「やってられない」とか「投げ出したい」と思ったことは?
うーん、あったかな。ないな。運行再開も計画どおりにいきましたから。だから「やってられない」と思ったことはないです。それも自分の思惑どおりに進んだからでしょうね。2011年4月の段階で「3年で全線復旧させる」と言ったら、県職員はびっくりしましたよ。県は6年くらいかかると思っていた。でも私が「3年」って言って、実際そのとおりになったでしょ。これは普通の行政の対応で復旧工事をやっているのに比べると、異例の速さです。
沿線市町村の協力で早期復旧が可能に
――3年という数字の根拠は?
被害状況をきちんと把握してそう判断しました。全線の被害状況を調査して、元に戻すだけで80億円、津波対策もすれば110億円。県や市町村が負担できる金額ではないが、国が8割くらい面倒をみてくれればなんとかなるという目算はあった。
真っ先に沿線8市町村長を訪ねて、了解をもらいました。これを最初にやっておかないといけない。地元に「復旧しなくてもいい」と言われたら終わりなので。
ところが、8市町村長全員が「鉄道は必要」と言ってくれたんですよ。次に沿線市町村の連名で県に要望に行ったときも、知事が「全線復旧で行こう」と言ってくれた。国も三次補正で地元負担がゼロという新たな制度を作ってくれた。幸いにも私の思ったとおりになりました。だから、胃が痛くなるようなことにはなりませんでした。強いて言えば、本来であれば三次補正が8月にできると思っていたのですが、2カ月以上ずれこんだことくらい。
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