大戸屋、深刻化する「お家騒動」の向かう先 実質創業者の亡き後、何が起きているのか

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大戸屋は1983年に養父から大衆食堂を継いだ久実氏が設立した会社だ。1992年に現在展開する店舗のモデルとなる「大戸屋ごはん処」を開業。店内調理や健康志向を売りにしたメニューと、女性でも気軽に入れる雰囲気を持つことで人気を博し、規模を拡大した。2001年に現ジャスダックへ上場し、国内342店、海外94店を展開している。

久実氏は2012年、社長職を窪田氏に譲り、自らは会長に専念していた。その後、肺がんを患って、2015年7月に急逝した。久実氏は18.79%の株式を保有したまま亡くなったが、その株式は妻である三枝子氏が13.15%を、息子の智仁氏が5.64%を、今年3月にそれぞれ相続している。

定食チェーンとしては定評のある大戸屋、この混乱を乗り切れるか(撮影:尾形文繁)

久実氏は亡くなる直前の2015年6月に、智仁氏を常務取締役に任命している。ただ、智仁氏は2013年に大戸屋へ入社したばかりで、目立った実績があるわけではない。

ある関係者は「久実氏は智仁氏をいつか自分の後継者にという思いがあったようだ。ただ、窪田社長は智仁氏が26歳(当時)で、常務になるのはまだ早いと思ったのでは」と語る。

久実氏の死後に何が?

その言葉を裏付けるように2015年11月、会社側は常務の智仁氏と、生え抜きの役員で海外事業担当の専務を、突如、ヒラの取締役に降格させる人事を発表。智仁氏は今年2月に取締役も辞任している。

同月には中国で直営店事業を展開する上海の子会社を清算。野菜の内製化を狙った、山梨県の植物工場の撤退も決めた。いずれも、久実氏が心血を注ぎ、新規事業の種としてまいてきたものだ。

創業家側は「(久実氏が亡くなって以降)窪田社長とコミュニケーションが取れていない。現在は弁護士を通し、アプローチしているが、面会は実現していない」(智仁氏)とするが、会社側は「創業家からのコンタクトはなく、困惑している」とする。

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