それともう一つ。押井さんは(実写のような)フォトリアルにこだわって、わずか4分のPVを8カ月かけて作っていた。その制作スケジュールと予算配分で本編を作るのは難しいのではないかと僕は思ったんです。
そのとき僕は脚本だけでなく、制作や演出的な立場でもお手伝いをしていたので、「セルルック(セル画調)にしましょう。これで成功したら次にステップアップしていけばいいじゃないですか」と提案したんですが、押井さんの返答は「無理だ。俺はもうセルルックはやりたくない」というものでした。
そこには押井さんなりの答えがあったのかもしれませんが、そこまでくると、出来る出来ないの論争になってしまう。そのときに「これじゃ監督が2人いるようなもんだ」と言われたんで、僕は一旦身をひいたわけです。そうしてしばらくしたら今度は逆に押井さんがいなくなってしまった。そうした流れがあって僕が監督を引き受けることになったわけです。
脚本を書いていた時点で監督をやる予定はなかったですが、脚本を書いてたときは、自分が監督するならこういう風にしたいと思いながら書いていた。押井さんから見れば迷惑な話だったかもしれません。それでも脚本を書いていると、改めて「サイボーグ009」の素晴らしさを感じますし、結果、監督をすることができて本当によかったなとも思います。この作品をやらなかったら、きっと後悔したでしょう。
石ノ森作品が描く正義は、僕たちの心にすり込まれている
――現代の「サイボーグ009」を作るにあたって、神山監督が込めた思いは?
正義のあり方についてです。70年代や80年代あたりには理想論として、いつか国連を中心とした連邦国家的なものができるんじゃないかと考えられていた。しかし冷戦が終結したにも関わらず、国家の枠組みやイデオロギー、もしくは宗教的な問題などがむしろ細分化されてきている。
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