「ほぼ日」は売れ筋を”考えない” 楠木建が糸井重里に聞く(上)

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楠木:創刊時はものが売れるとは、考えていなかったのですか。

糸井:考えていなかったです。ただ、最初からインターネットはビジネスになるとは思っていました。

楠木:インターネットビジネスの主収入である広告料は、どこもほとんど取れていなかった時代ですよね。

糸井:ええ。でも銀座の4丁目の角に自動販売機を置いたら、それだけで食っていけますよね。おでん屋でも花屋でも何でもいい。重要なのは銀座4丁目にあるということです。大事なのは「人のにぎわい」。人が、その街に行きたくなる理由があるかぎり、何をしたらよいかわからなくても、食う道はあると思っていました。

楠木:その「銀座4丁目=ほぼ日」に、何の店を出すか、具体的なイメージはあったのですか?

糸井:なかったです。最初は事業だとも思っていなかったですから。広告の仕事をするなりゲームを作るなり、我慢してでも稼いで、そのおカネを入れれば回っていくだろうというくらいに考えていました。当初は「芸能人のレストラン」みたいな、中途半端なところがありました。

想定以上に売れたTシャツがビジネスのきっかけ

楠木:そうすると、ほぼ日がビジネスになると思われたのは?

糸井:創刊1年半後の1999年、ほぼ日で販売したTシャツが予想外に売れたときでしょうか。3000枚売れたのですが、まさかそんなに売れるとは思っていませんでした。

糸井重里(いとい・しげさと)
東京糸井重里事務所社長
1948年生まれ。 コピーライター、エッセイスト、タレントなどとしてマルチな才能を発揮してきた。98年ウェブメディアの、「ほぼ日刊イトイ新聞」を開設。東京糸井重里事務所は、売上高28億円、純利益3億円の優良企業。従業員は49人。

僕は、世の中がデフレになりかけた時期に、「安い、安いでいいのかしら」という百貨店の広告を作ったことがあるんです。

このときにはすでに広告コピーまで「安い」が最も効果的な言葉になってしまっていました。けれど、「安い」ことが一番の価値なら、広告をするより値段を下げたほうがいいし、そうした「安い」を追い求める流れが、いい流れのようには思えませんでした。

ほぼ日で最初のTシャツを作った時も、たくさん作ったことで原価は下がったけど、「安さで勝負」ではなく、やっぱり動機が大事だったんです。仲間と一緒に着られるTシャツを作りたい。その時に、買ってくれる人がいると原価が下がるから、よかったら買いませんか? というくらいの気持ちでした。そしたら、欲しいと言ってくれる人がけっこういた。

商品も読み物もすべてコンテンツ、強い動機が必要

楠木:それは理屈抜きにうれしいことですね。

糸井:「お店屋さんごっこ」が嫌いな人はいませんからね。でも売れるものなら何でも売りたい、というわけではなく、僕にとってはTシャツを販売することも、ほぼ日で文章を書くことも、同じことなんです。商品も読み物も、すべてコンテンツ。やりたいことしかしたくない。

楠木:つまり強い動機がないと作らないということですね。

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